ライトレールの終点、芳賀・高根沢工業団地で折り返して、飛山城跡で下車しました。
周囲は田畑が広がる農村風景。近代的なLRTとの対比が不思議な風景を作っています。
駅を出て北へ。
飛山城跡に建つガイダンス施設「とびやま歴史体験館」へは、東側の道を案内されますが、google mapを見ると、城の南側を通る道があるみたいなので、そちらを選択しました。
件の道は未舗装でした。
おっかなびっくり登っていくと、堀底に導かれました。
櫓台が張り出し、見通しを阻みます。
飛山城はとても不思議な縄張だと思います。
鬼怒川沿いの河岸段丘という占地は理に適ったものですが、段丘上を直線的に区切っいるのがヘンな感じ。
普通は地形の凸凹を利用して曲輪を作っていくと思うのですが、段丘の上部が平らだったことによるものでしょうか?
また、外郭部に一定間隔で張り出した櫓台も変な感じです。5か所ある櫓台ですが、虎口に対する横矢として機能しているのは大手の東側、搦手の南側とも1か所ずつしかありません。
しかも大手側は虎口まで20m以上あって、横矢としては不十分な感じ。弓矢なら届くとは思いますが。
「とびやま歴史体験館」を見学。無料でしたので、入館料代わりに御城印を購入しました。
城跡は1号から6号まで6本の横堀で、7つの曲輪に分かれています。
最も外側の曲輪Ⅶは、5号堀に挟まれて細長いL字になっています。
大手につながる東側には、小さな角馬出があります。
土塁、堀ともささやかですが、当時はもっと険しかったのでしょうか?
南側の土橋。搦手にあたります。
5号堀の内側の曲輪Ⅵは城内最大の曲輪です。
飛山城は、鎌倉時代後期に芳賀高俊によって築かれたと伝わりますが、平安時代には、烽火をあげる施設「烽家」があり、様々な時代の遺構が重なり合っているのが特徴。
発掘調査の成果を踏まえていくつかの建物が推定復元されており、古代建物は烽家の施設を推定したものです。
ちょうど屋根の吹き替え工事中でした。。。
竪穴建物は、半地下構造になっており、貯蔵庫として使用されたと推定されています。
4号堀を渡ります。横矢が掛かるよう、堀に対して斜めに橋がかかります。
曲輪Ⅳです。掘立柱の建物が5棟推定復元されています。
曲輪Ⅲへ2号堀を渡ります。
さらに段丘崖に近いところに、曲輪Ⅰ、Ⅱがありますが、1号堀、3号堀が復元されていないので、わかりにくい。
かすかに凸凹で判別できるでしょうか?
これまでの直線的な堀と違って、1号堀、3号堀は地形に沿って作られているように見え、曲輪Ⅰ、Ⅱも他の曲輪に比べて小さなものです。
というわけで、築城当初に曲輪Ⅰ、Ⅱが築かれ、その後拡張される中で、烽家の遺構を取り込んだという想像をしましたがいかがでしょうか?
また、6号堀に規則的に作られた櫓台も相変わらず気になります。
塁線に横矢をかけるという発想は理解できますが、弓の扱いにはそれなりの熟練が必要ということを考えると、熟練者を櫓台に万遍なく配置するには人材的に厳しいようにも思えます。
築城者は、どのような戦闘を想定していたのでしょうか?
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