カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

「軍都」金沢の名残を探して

明治維新後の金沢は、第3師団歩兵第6旅団、その後第9師団がおかれた「軍都」でした。

特に第9師団は日露戦争で旅順包囲戦に参戦した精鋭で、上海事変後は中国各地を転戦しました。

太平洋戦争後半には第32軍の下に入り、沖縄防衛の中核を担っていましたが、沖縄戦直前に台湾に転出しそのまま終戦を迎えました。

陸軍内でも精鋭として知られましたが、結果として太平洋戦争では一度も戦闘を経験しなかったことになります。

 

軍都でありながら金沢は大規模な空襲を受けなかったので、市内には当時の名残があります。

そんな名残を、金沢城周辺で探してみました。

 

 

まずは、第6旅団司令部です。金沢城内二の丸にあります。

メインルートから外れているため、人通りが少なく静かな雰囲気です。

 

本丸に入って、日露戦争記念碑です。案内看板はなく、草木に埋もれているので見つけにくい。

 

本丸を削り、レンガのトンネルを建造したのも陸軍といわれています。

 

弾薬庫建設のため、とのことですが、はたして。

 

鶴丸倉庫も、終戦までは被服倉庫として使われていました。

1848年に建てられた藩政時代の遺構でもあります。重要文化財

 

 

兼六園内にも、いくつか遺構があります。

 

幹に松脂採取の傷跡がある松。

 

これ以外にも幹に傷のようなものがある松があちこちにありますが同様でしょうか?

 

明治紀念之標。1880年建立で、日本初の西洋式銅像といわれます。

銅像の主は日本武尊熊襲征討・東国征討を行った伝説的な英雄ですが、熊襲蝦夷にとっては侵略者であったのもまた事実。

 

 

近くに、護国神社もあります。

終戦の日が近いため、式典の準備が行われていました。

 

日本史上最大級の失敗を「聖戦」と呼び、避けることができた犠牲に対して「英霊」と名付ける――

自分とは相容れない人たちだな、と思います。



第9師団司令部庁舎と旧金沢偕行社は移築により現在は国立工芸館になっています。

 

そして、すぐ横にある石川県立歴史博物館のレンガ造りの建物は兵器庫として建てられたものです。

 

最後に第九師団長官舎。石川県立美術館広坂別館として使用されています。

 

 

終戦から80年弱。かつての面影は身近なところにのこっています。

一方で、生き物のごとく新陳代謝を続ける街において、その面影が少しずつ消えていこうとしています。

 

昭和は遠くなってしまいました。

 

 

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