ダラダラ続いたGWの話も最後です。
角牟礼城から豊後森駅に戻って14:04発の特急ゆふ3号で大分へ。
小倉で乗り継いで下関で宿泊しました。
翌5月3日。ホテル前からバスに乗って御裳川へ。
関門海峡を徒歩で渡ることができる人道トンネルの下関側出入口が至近です。
この日最初の目的地は火の山公園です。
ロープウェイがありますが、始発が10:00のためまだ動いていません。ちなみにこの時点で8:00前です。
仕方ないので、登山道を登ります。
20分ほどで到着しました。
火の山公園は、関門海峡を望む景色が有名。
ちなみに夜景も有名です。ただ、肝心のロープウェイは夜間運行は限定された数日のみで、通常は17:00まで。色気がないですね。
火の山パークウェイは終日解放されているので、車でくれば大丈夫。遊歩道に街灯はなく、道路にも歩道はないので徒歩はやめた方がよさそうです。
そして、戦時中、ここには下関要塞火の山砲台がおかれていました。
関門海峡を挟んで多数の要塞が築かれており、それらを総称して下関要塞と呼ばれますが、ここもそのひとつ。
旧軍時代の遺構を探してみましょう。
ここには大きく4つの砲台があったといいます。
第1砲台はロープウェイ乗り場付近。ただ、遊歩道などが整備され、遺構はほぼありません。
第2砲台の観測所指令室が展望台の土台になっていました。
その第2砲台は回転展望台付近にあったとのことですが、展望台そのものが撤去され立ち入り禁止になっていますので、遺構を見ることはできませんでした。
電波塔周辺の遺構。
バス回転場付近には第3砲台がありました。弾薬を保管した砲側庫は休憩所になっています。
そして、最も多くの遺構が残る第4砲台。
指令室と観測所が残ります。
その先には、28センチ榴弾砲の巨大な砲座。
さらに砲座の下には、兵舎として使われた壕があります。半地下のためかジメジメしています。
周囲の堡塁もよく残ります。
北側の高射砲砲台と弾薬庫です。
園内を歩き回って9時過ぎ。まだロープウェイは動いていないので歩いて戻りました。
10:20のバスで下関駅に戻る予定でしたが、この日は、しものせき海峡まつり・先帝祭があって、国道9号線は渋滞が始まっています。
下関駅に戻るのは危険と判断して長府方面のバスを待っていましたが、下関行きのバスは定刻。一方で小月行きのバスは15分ほど遅れてやってきました。
長府で予定の電車を捕まえることができましたが、ミスった感は否めません。
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