鑁阿寺から駅に戻って、13:43発の小山行きに乗車します。
13:56着の佐野で下車。駅の北側にある佐野城は、橋上駅舎の自由通路から直結。アクセス抜群の駅近物件でした。
佐野城は平野の独立した丘陵に築城された連郭式の平山城。
駅から出たところは三の丸にあたります。
二の丸へは、枡形になった坂虎口。舗装道路で改変が著しいですが、枡形の雰囲気がよくわかります。
二の丸。
丘陵を分断する堀切の向こうが本丸です。
橋の位置は当時とおなじでしょうか?
堀切はかなり大規模で見ごたえがあります。
本丸。
東側には虎口の跡があります。現在、道はなく虎口として機能していませんが、枡形だったようです。
本丸の北側にも大規模な堀切があります。
堀切を渡った先が北出丸。
佐野の町並みの向こうに見えるのが唐沢山城でしょうか?
佐野城が築城されたのは1602年。唐沢山城を廃城にして移転したのは徳川家康の意向とのことです。
名城とうたわれ、幾たびかの合戦にも耐えた山城が江戸の近くにあるのは気持ち悪いということでしょうか?
1614年に佐野氏が改易になったことにより、廃城に。その間10年余り。薄命の城でした。
北出丸の虎口。この園路は当時の城道を踏襲しているようです。
現在、公園になっているのは丘陵部のみですが。当時は山麓部を水堀が囲んでいました。すべて埋められてしまいましたが、地形の段差に名残があるようです。
本丸と二の丸の間の堀切を通って城跡の東側へ。
こちらも堀の名残を感じます。
駅に戻ると、臨時列車の634型スカイツリートレインが入線してきました。
2ドアセミクロスシートをもち、快速として特急を補完し、日光や会津とのアクセスに活躍した6050系も廃車が進みました。
現時点で定期運用を持つのは、野岩鉄道所属車のみのようです。
634型スカイツリートレインも定期的な運用はなくなり、臨時列車のみになっていますので、遠くない未来に形式消滅となるものと思います。
1986年に貨物輸送が廃止になるまで、石灰、セメント輸送でにぎわっていました。
広い構内と何本かの側線に当時の名残を見ることができます。
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