9月16日は野暮用で半日休暇を取得しました。
用事を済ませた後、大月まで移動します。
大月に宿泊して翌9月17日、始発の河口湖行に乗車します。
自宅からだと始発に乗ってもこの電車には間に合いません。宿泊した効果ですが、この列車でなければいけない理由というのも特にありません。
20分ほど谷村町で下車。
桂川を吊り橋で渡ります。
谷を登り、集落の先に見える小山が勝山城跡です。
勝山城は戦国時代に小山田氏によって築かれました。当初は山麓にある谷村館の詰城として機能していたようです。
武田氏滅亡後、豊臣、徳川と時代が移る中で近世城郭に改修され、藩主秋元氏が転封になる1704年まで存続しました。
城の規模のわりには、土木量が多い印象。例えば、城跡の南側、下の写真の右側の田は外堀の跡とのことです。
登山口に到着。ここには公衆トイレと若干の駐車スペース。
ただ、ここに来るまでの道が狭いので、大型車が乗り入れるのはほぼ不可能だと思います。
登山道は舗装されていて快適。
5分ほどで内堀跡に到着しました。
写真ではわかりにくいですが、斜面に沿って堀が続いているのがわかります。
縄張図によると、城の東側を南北に貫く大規模なものです。
川棚見張台と名付けられた尾根の先端部の平場です。
ここから三の丸へは、緩斜面を登っていきます。
道の左側は切岸と腰曲輪が連続して段々になっています。
三の丸。
虎口はなかなかに技巧的です。
二ノ丸。
更に本丸に登る途中に、算木積みの石垣を見つけました。
当時、主郭部は石垣で囲まれていたようです。城内に転がる石は破城の名残でしょうか。
本丸まで登ってきました。何故か東照宮があります。
本丸からの眺望。
東側の尾根をおります。
この斜面も曲輪が段々になっています。
煙硝蔵跡と伝わる曲輪です。
立派な屋根を持つベンチが不釣り合いです。
この先、尾根の先端部には源生見張台という曲輪があるとのことですが、藪に埋もれて道がわかりませんでした。
素直に引き返します。
本丸に戻って、北側斜面を降りていきます。
茶壷蔵跡と伝わる曲輪。
江戸時代、将軍献上用の茶を宇治から輸送する御茶壷道中において、夏の間、勝山城の茶壷蔵に保管していたとのことです。
この先、立派な堀切と、その先に大澤見張台という曲輪がありますが・・・
堀切の先で黒い塊が動いているのをみつけました。
登山者でしょうか?でも全身真っ黒は怪しいですし、大きさが人間サイズではないように見えます。
と、冷静にいろいろ考えたのは後の話で、その時は本能的に「これはヤバいやつだ」と感じてすぐ踵を返しました。
山梨県にクマがいるのか私は知りませんし、仮にいるとしても、中央道を走る車の音が聞こえるような人里近くまで出てくるものなのかもよくわかりません。
そもそも、私の見間違いの可能性が高いとは思いますが・・・
早足で登山道を下ると、横堀の中に導かれました。
焦りながらも写真は撮っています。ただ、ブレたひどい写真ばかり。
何度か後ろを振り返りましたが、追われている気配はありません。
近年開通したという登山道を駆け下りました。
心拍数があがったまま谷村町駅に戻り、8:12発の河口湖行に乗車しました。
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