7月22日、新幹線で名古屋へ。(ワイドビュー)ひだ3号に乗り換えました。
高山で下車しました。
まずは、駅から北へ5分ほどの飛騨国分寺へ。
山門をくぐった正面にある鐘楼堂は高山城からの移築と伝わります。
城跡に行く前に、もう少し寄り道します。
城の東側、江名子川の細い流れを渡った先の高台に寺院が集まっています。
そして、ここには高山城からの移築と伝わる建造物がいくつか残されているので、サクッと一巡しました。
法華寺 本堂
東山神明神社 絵馬殿
素玄寺 本堂
雲龍寺鐘楼門
高山城の歴史は古く、1500年代初頭までさかのぼるようですが、近世城郭としての体裁を整えたのは、金森長近が居城とした1588年以降のこと。
1692年に金森氏が上山へ転封、天領となったことで役目を終え、廃城になりました。
高山城というと山上に建物が所狭しと並んだ山城というイメージがありますが、城下街近くの山麓まで、曲輪が段々に配置されてました。
最も下段にある三の丸はコの字の水堀で囲まれており、いまも西側に堀が現存しています。
三の丸は護国神社になっていました。
かなり改変されているようです。地形に名残を感じることができるかどうか。
護国神社の裏手から二の丸に登ってきました。
ここは駐車場と芝生の広場が広がっていました。
金森長近の銅像。
駐車場の向こうに登山道がありました。
5分ほど登ると、壮大な切岸に突き当たります。
本丸下の東北曲輪。正面の斜面の上は本丸です。当時は石垣だったのでしょうか?
本丸まで登ってきました。目の前の石垣は復元されたものです。
ここに来るのは2回目です。前回は2007年でした。
年末の寒い中を無理して登りましたが、霧(というより雲)の中に入ったように周囲は真っ白で、何もわからなかった記憶があります。
本丸は想像以上に狭いです。
ここには櫓と御殿を兼ねたような独特な機能と構造の建物が石垣からはみ出さんばかりに立ち並んでいたといいます。
実際、一部は懸造になっていたようですので、この表現も決して大げさではありません。
本丸から南側に降りていきます。
石垣の残骸がありました。
看板によれば、尾根続きになっている、本丸南側が大手とのことです。
でも、三の丸、二の丸を経る登城路が搦手というのもおかしな気がします。
大手と搦手という言葉にどこまで固執すべきかという問題はともかく、その言葉の意味を重視して考えるならば、逆と考えるのが普通の感覚だと思います。
猪谷で乗り継いで、富山に向かいました。
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