カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

壺川東公園

11月22日、労働者の権利を行使(有給取得)してやってきたのは那覇空港
時間は10時少し前。日本も狭くなったものです。

 

早速ゆいレールに乗車、壺川駅で下車しました。

 

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駅から歩いて5分ほど。何の変哲もない住宅街の中にある公園が最初の目的地です。

 

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壺川東公園と名付けられた公園には、南大東島でサトウキビ等の運搬に使用されていたディーゼル機関車が保存されています。

 

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ざらしのせいか、状態はあまりよくありません。

 

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この無蓋車に見えるのは、蒸気機関車の下回り。ロッドの存在がその出自を教えてくれます。

 

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由緒が書かれた看板。

 

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ゆいレールが開通するまで軌道系交通機関がなかった沖縄にあって、その首府である那覇で鉄道を感じることができる唯一の場所がここだと思います。
しかし、なぜ?
しかも、なぜ南大東島で使用された車両?

 

割と有名な話ですが、戦前の沖縄本島には沖縄県営鉄道という軽便鉄道が走っていました。
那覇を起点に、嘉手納、与那原、糸満の3方向に延びた線路は、全長48kmほど。
戦局の悪化により、1945年3月に運行を休止。その後の沖縄戦により設備が徹底的に破壊されたこともあり、復活することなく廃止になりました。

 

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廃線跡は、道路になったり、街の区画そのものが変わってしまっていたりして、追いかけるのは困難です。米軍基地に取り込まれてしまったところもありますし。
また、車両なども残っていません(一応、宜野湾市に台車が残っているらしいです)。
そんなこんなで、旧線路敷にあるこの公園に、何かしら鉄道のにおいを感じるものを置くというのはそれなりの意味があるような、ないような・・・。


公園を後にして、歩くこと10分ほど。那覇バスターミナルに到着しました。
いつのまにか新しいビルになった那覇バスターミナルは、沖縄本島各地を結ぶバスの発着点になっています。
そして、沖縄県営鉄道那覇駅がここにありました。

 

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現在、鉄道があったことを感じ取れるものはここにはありません。
バスターミナル建て替えの際に見つかった転車台やピットの跡は、移設されたり撤去されたりしてしまったとのことです。
なお、転車台の遺構は再び移設して、一般公開する計画があるようです。

 

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沖縄県営鉄道の廃止後、自動車交通に依存していた沖縄本島に鉄道を復活させようという動きは、終戦後のアメリカ占領時代からたびたび持ち上がっていました。
しかし、それが現実になるのは2003年のゆいレール開通まで待たなければなりませんでした。
以前より那覇市街の交通渋滞は課題になっていましたので、わずか13kmほどの路線ながら画期的な出来事でした。
当初は、50年以上鉄道がない生活だった那覇の人々に受け入れられるか不安視するような声もあったと記憶しますが、ふたを開けてみればなかなかの盛況。
地元の人はもとより、観光客の利用も多く、完全に根付いた印象です。
来年には浦添市への延長部も開業する予定で、その終点、てだこ浦西駅には大規模な駐車場と高速バスとの結節点が整備されるとのこと。
その他、那覇と名護を結ぶ鉄道の構想も発表されるなど、沖縄の鉄道事情はさらに動きがありそうです。

 

でも、その原点は沖縄県営鉄道にあります。
もし、戦争がなくて、軽便鉄道が生き残っていたら…
おそらく、近代的な姿に改良され、今も県民の足として活躍していることでしょう。
そして、これまで起きていたような交通事情の悪化のある部分は緩和されているはずです。


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