カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

戦後70年、内閣総理大臣談話についての素朴な感想

いまさらですが、8月14日の内閣総理大臣談話について。
みなさん、読みました?

率直な感想ですが、
あれほど大騒ぎしたにも関わらず、出てきたものは内容のない薄っぺらいもの。
従来に比べて量が多いですが、内容は八方美人で何の面白味もありません。

はっきり言えば、あれほど大騒ぎしたのがバカみたい。


でも、言葉の使い方や行間に首相の考えがにじみ出ているようです。

まず、前段。
大戦に至る経緯や当時の状況がまとめられていますが、
あたかも、戦争に至ったのは仕方のないことなんだ、と言っているかのよう。どこか他人のことのようです。
でも、いかなる状況であっても戦争という手段を選択したのは大日本帝国です。
戦争回避の道はいくつもあったわけですし、アメリカと戦争しても勝ち目がないことは軍内部の研究でも明らかにされていました。それでも戦争を選択したわけで、それを「仕方なかったんだ」と言われては元も子もありません。

そして、「歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」と、従来の立場を継承すると表明した部分。
謝罪したくはないけど、そうしないといろいろうるさいし…という首相の(ある意味幼稚な)葛藤が見えるようで、若干面白くもあります。
主語がない、謝罪していないというツッコミはごもっともで、文章を読む限り、「継承しますよ」としか言っておらず、自分自身はどうなのかという肝心なところがあいまいになっています。

最後に、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」とした部分。
中国、韓国の歴史認識に対する姿勢に対してある意味うんざりしているという(日本人全般が感じているような)思いを素直に吐露しているように思いますが、
それって、裏を返せば、当時の大日本帝国が言うところの大東亜戦争の総括が終わっていないこと示していることになると思います。

戦争に負けて占領され、東京裁判によって当時の指導者が断罪されたことをもってなんとなく禊は済んだ気になっていますが、
300万人以上の犠牲者をだし、外国にも犠牲を強い、揚句に敗けた…そのことに対する日本人による日本人への追求はおろそかになったまま今に至ってしまいました。
(だから、「あの戦争は仕方なかったんだ」なんて言う珍妙な主張がまかり通るんですな。)
そこが決着していないから、周囲の国から突っ込まれ、右往左往してしまう。その時々の政府によって言うことが違うなんていうおかしな状況になってしまう。
日本人としてこれほど恥ずかしいことはありません。
「侵略」とか「植民地支配」とか特定の文言がつかわれるかどうかなんて言うのは瑣末な問題でしかありません。要は何が起きたのか、何をしたのか、何を考えたのか、何を誤ったのか、それを具体的に明らかにすることだと思います。
そうしないと、議論に幹が通らない。水掛け論が続くだけです。


どのような立場、考え方を持った人からも一定程度の賛同を得られ、一定程度のツッコミが入るという、個性も何もない今回の談話、
個人的にはホッとしているところがあります。
もっと突拍子のないモノが出てくる可能性もありましたし、その結果として近隣諸国との間がさらにギクシャクしてしまう可能性もあったわけですから。
ただ、課題は課題のまま積み残されることとなりました。そして、課題に正面から向き合おうとしない日本国の姿勢もそのまま続くことになります。
余談ですが、戦後レジームからの脱却を唱える首相ですが、今回の談話により戦後はまだ続いていることがあきらかになってしまったのは皮肉です。


戦後70年、長い年月が流れましたが、日本人の「戦後」はまだ続きます。



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