カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

御殿場線 ~元横綱の風格~

4月29日、磐田に向かう道すがら御殿場線に乗ってみました。
乗車したのは国府津9:42発の三島行き。313系と211系が併結された5両編成です。

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国府津を発車した列車はすぐに北に進路を変えます。
東海道新幹線をくぐり、国府津車両センターを左手に見るあたりから徐々に勾配がきつくなってきます。

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御殿場線丹那トンネルが開通するまで、日本第一の幹線である東海道本線の一部でした。
箱根の外輪山と富士の裾野の間の険しい地形を縫うように敷かれた線路は、輸送力を最大限に発揮するべく複線化されていたそうです。
各駅とも広い構内を持ち、長いホームと有効長にかつての面影を感じることができます。
特に、山北駅は山北機関区を抱える要衝であり、山北は鉄道の街として名をはせていました。現在、そのイメージを感じることはなかなか難しくなりましたが、広い敷地や側線跡が想像を掻き立ててくれます。

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山北を過ぎると、トンネルが増え、細かいカーブが続きます。
このあたりは複線時代の名残をよく感じることができます。
路盤は複線分確保され、使われなくなったトンネルの坑口がすぐ横に見えたりします。
橋桁は外されているものの、橋脚は複線分存在していることも確認できます。

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勾配を登りきると御殿場駅です。
「あさぎり」に使用されているMSEが停車していました。
そういえば、「あさぎり」は御殿場止まりになってしまったのですね。
その背景には伊豆観光に対する沼津の地位が相対的に低下したということがあると思うのですが、どうでしょう?

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御殿場駅からは、坂を軽快に下ります。とはいっても25‰が続く難所であることには変わりありません。
やがて平坦になり、東海道新幹線の線路をくぐると沼津駅。11:31着でした。


御殿場線は歴史の香りの濃い線だ。日本の鉄道史を語るうえで、この路線は欠かすことができない。東海道の幹線としての建設過程、急勾配と苦闘しながらの活躍とその限界、丹那トンネル開通によるローカル線への格下げ、戦時中の一線撤去による単線化……。昭和43年には電化され、地域社会の足として働いてはいるが、栄枯盛衰ということばを思い浮かべずにはいられないような線である。
宮脇俊三御殿場線をゆく」、『日本鉄道名所4東海道線』(小学館、1986年)



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