カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~金沢城~ 【2013.12.28】

北陸鉄道浅野川線を往復した後、金沢城に向かいました。
近江町市場を抜けると広い水堀。ここが金沢城の大手に当たります。
尾坂門とも呼ばれる大手門は筋違い虎口になっており、正面の石垣にはことのほか大きい石を使用して、正門としての威厳を漂わせています。

イメージ 1

イメージ 2


大手門をくぐると新丸と呼ばれるただ広い曲輪にでます。
正面には河北門と二の丸菱櫓がそびえています。

イメージ 3


河北門は平成22年に復元されました。櫓門は内部も公開されていて、新しい木の雰囲気がとてもすがすがしいです。
櫓門の入口から桝形を見ると、その向こうに菱櫓が見え、鉛瓦の屋根が幾重にも重なって見える様子は「これぞ城!」という感じで思わずうっとりしてしまいました。

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6


河北門をくぐると三の丸です。目の前には搦手に当たる石川門もあります。
逆方向に目を転じると菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓が連なります。
二の丸へは橋爪門を通るのが近道ですが、現在工事中のため、迂回が必要です。

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9


ちなみに、道すがら正面に見える本丸丑寅櫓台のは金沢城に現存する最古の石垣である由。言われてみれば、勾配はゆるく、算木積も未熟ですね。

イメージ 10


橋爪門現在復元工事中。作業が見られるように見学台が設けられていました。
現在は銅瓦を貼り付けている段階のようです。

イメージ 11

イメージ 12


菱櫓の中に入ってみます。相変わらず新しい木の香りがすがすがしいです。
が、床がとても冷たくてつま先がしびれてきました。足が凍えているので階段がとてもつらいです。
菱櫓の最上階、窓からのぞくと、尾坂門、河北門、石川門がすべて視界に入ってきます。
ということは、菱櫓は少なくとも役割としては天守そのものであったといえると思います。

イメージ 13

イメージ 14


金沢城の中枢は二の丸にありました。
本丸は火災で焼失した後再建されず、そのまま放置されていたようです。
現在では本丸はうっそうとした森になってしまっており、遺構の確認自体が困難です。

イメージ 15


本丸付壇には三十間長屋があります。2層の巨大な多門櫓です。二重櫓を伴っていたようですが失われており、多門櫓部のみ現存しています。
それにしてもこの櫓、塁線から引っ込んだところに建てられています。なぜそうなっているのかはわかりません。

イメージ 16

イメージ 17


本丸と二の丸の間の空堀にかかる極楽橋を渡って再び二の丸。
第六旅団司令部の建物を見て石川門から外に出ました。
石川門は搦手に当たり、外城である兼六園との間には巨大な堀が掘られています。
現在は道路になっていますが、当時は水堀であったようです。
桝形はあまり大きなものではありませんが、三方を櫓に囲まれますのでとても威圧感があります。
一の門をくぐった正面にあたる石垣は切込ハギの精度が高いものですが、側面は打込ハギになっています。
入城者への印象とコストや工期を天秤にかけた結果こうなったのでしょう。

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20


最後に、外周をぐるりと回って尾山神社に向かいました。
途中、本丸の下を通りますが、北西部隅にあたるここの石垣は4段になっており、前々から不思議でした。
つまり、前田家の実力をもってすれば高石垣を一気に築くことも可能ではないか…と。

イメージ 21

イメージ 22


看板を見た後で改めて見上げてみれば、積み方が一様でないのがわかります。
改変されているということがわかって納得です。

最後に尾山神社を見ました。
神門が独特です。
境内は金沢城の出丸だったところですが、神社を建てるときにだいぶいじられてしまったようです。

イメージ 23


その後、歩いて野町のホテルに向かいました。
ずっと雪が降ったりやんだりで寒く、足はビチョビチョ。
城自体は満足しましたが、少々つらかったです。



↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。
http://widget.blogram.jp/images/bgButton1_whi.gif
blogramランキング参加中! ←クリックはこちら。