カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

隅田公園駅

浅草駅を出た列車が、車輪を軋ませながら急カーブを曲がり、隅田川を渡ったところに1958年まで隅田公園駅がありました。
1931年に開業したものの1943年には不要不急の駅として営業休止になったとのことなので
実質的な稼働期間は12年しかなかったことになります。

駅は隅田川を渡ってすぐの北十間川にそったところ、ちょうど源森橋と枕橋の間あたりにありました。
まずは北十間川の対岸から駅跡を見てみました。
高架橋は古いものであることがわかりますが、ホームや高架下の構造物の改変が進んでしまい、駅の跡を明瞭に把握することはできません。
かつては高架下に階段の跡を確認できたそうですが、取り壊されてしまったらしく確認できませんでした。
それにしても、ホームを支えていた土台となる部分が、現在残る高架橋に見つけることができません。
よっぽど狭いホームだったのでしょうか?それとも、鋼材を使って組み上げていたため撤去可能だったのでしょうか?よくわかりません。

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こんどは反対側、隅田公園側を歩いてみます。
すると、くすんだコンクリートの壁とレトロな格子窓が出現しました。
駅施設として使用されていたものかはわかりませんが、多くの方がブログ等で言及されている通りかなり古いものであることから開業当初からの建造物である可能性が高いと思います。
フェンスが張られていて、工事の真最中でした。あと数日で取り壊されてしまいそう。ぎりぎりのタイミングでした。

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余計な構造物が取り払われていますので、明瞭に観察することができました。
柱や壁面に細かい装飾が施されているのがわかります。
壁から飛び出しているレールは庇のようなものを支えていたのだと思います。ただし、それが当時の遺構なのか後から加えられたものなのかは何とも言えないと思います。

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また、一番浅草寄りにはひときわ太くい錆びた鋼材がむき出しになっていました。
かなり太いですので、高架下の建物の床を支えるという程度のものではなくて、もっと重いものを支えていたと考えられます。
また、道路側に張り出していた鋼材を切断したような跡も見られます。
根拠はありませんが、コンクリート製の高架橋を挟むように鋼材を組み、ホームを支えていたのではないでしょうか?
ホームはおそらく北十間川と道路にそれぞれはみ出すように作られていたのだと思います。
繰り返しますが、根拠はありません。

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東京スカイツリー駅まで歩いて、浅草駅まで電車に乗りました。
車内からも観察してみましたが、いまいちよくわかりません。位置的には高架橋両側の作業員通路みたいなのが設けられているところが該当します。

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最後尾に乗っていましたので、浅草到着時にはドアカットの犠牲になってしまいました。
2両分もぞろぞろ歩かないといけないので、到着から下車まで5分近くかかったように思います。

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