カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~烏帽子形城~ 【2024.12.29】

高松城を出て、高松築港駅から琴電で琴平へ。

 

土讃線に乗り換えて阿波池田。山間の街にはみぞれが降っていてとても寒い。

 

更に徳島線高徳線と乗り継いで、高松に戻ってきました。

 

2時間ほど寒さに震えながら時間をつぶして、1:00発のフェリーに乗船。

ごろ寝ができる指定席を予約していましたが、毛布などないため寒く、床が固いためお尻が痛くなったこともあってあまり眠れませんでした。

出航が少し遅れましたが、神戸港には定刻に到着しました。

 


バスで三宮へ。

 

更に阪神、JRを乗り継いで、柏原。

 

近鉄道明寺線から長野線に乗り換えて、8時前に河内長野に到着しました。

 

 

河内長野は、高野山への参詣道として整備された高野街道の宿場町として栄えました。

各地からのびる街道が合流する交通の要衝でもありました。

 

現在、観光地として景観が保存、整備されている高野街道を15分ほど歩くとぶつかる独立峰に烏帽子形城がありました。

河内長野駅から最も近い北側からの物を含め登山道はいくつかあるようですが、城の南側に整備されている公園を目指します。



遊具のある広場の奥にある登山道を登ります。

 

すると、やせ尾根を遮断する堀切にあたります。ここから先が城内のようです。

 

そのまま進むと横堀に導かれます。主郭の東側にあり、幅、深さとも大規模で圧倒されます。経年で崩れたり、埋まったりしていることを考えるとなおさら。

 

そのまま、主郭南側の横堀を進みます。

 

主郭に到達しました。

 

主郭は細長く、発掘調査の結果、2棟の礎石建物が検出されています。

1584年に豊臣秀吉紀州平定の際に改修されたとのことですので、その時に建設されたものでしょうか?

 

烏帽子形城は、1332年に楠木正成が築城したという伝承があり、1617年に廃城になるまで300年近くも使われていました。

ただ、紀州平定後は用途を失い、半ば放置されていたようです。

江戸時代になると、かつての城主だった甲斐庄氏が旗本として返り咲きますが、この城を維持することはかなわず廃城となりました。

烏帽子形八幡神社の神域だったため、明治以降大規模開発が行われず遺構の破壊は免れました。2012年に国史跡。現在は公園として整備されています。

 

 

主郭の下に二郭。

 

そして、二郭からの眺めが圧巻です。

正面を2条の横堀で区切り、斜面を削り残してつくられている坂虎口には二郭から強力な横矢が掛かっています。


主郭の南側は巨大な横堀と堀切で遮断されているとはいえ、曲輪が少なくあっさりしているのに比べて、北側は複数の横堀と曲輪をつらね重層的。

おそらく北側が大手でしょう。駅から歩いてきたとき、素直に北側から登ればよかったみたいです。

 

二郭正面の横堀。

 

北に延びる尾根筋は堀切で遮断されています。

 

さらにその先にも段々に曲輪が続いているようです。



高野街道に戻って三日市町駅まで歩きました。

 

 

 

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