9月14日は、始発の新幹線で秋田に向かいました。

男鹿線に乗り換え。
2016年に導入されたEV-E801系はBEC819系をベースにしているため、どことなくJR九州風味です。

脇本で下車しました。

google mapをみながら南へ。指示された抜け道に入ると、道がなくなってしまいました。

それでも20分ほどで到着したのは、国指定史跡の脇本城です。

神社の前を過ぎさらに登っていきます。
途中、プレハブの案内所があり、パンフレットなどを入手することができます。

更に登っていくと、曲輪に挟まれた鞍部に出ました。

脇本城は、中世に安東氏の拠点となった巨大な山城です。
1334年頃に築城されたと伝わりますが、現在の姿は、1577年の安東愛季による大改修の結果です。
標高100mほどの丘陵に広範囲に曲輪がつくられ、城域は150haに及びます。
現在、整備されているのは、生鼻崎に向かって伸びる南側の曲輪群とその北側に広がる内館と呼ばれる曲輪です。

まずは南側を見ていきます。

尾根に沿って曲輪が連郭式に配置されています。

巨大な竪堀。

この先も曲輪が続いていたようですが、江戸時代の地震で崩落した影響で失われています。

この曲輪群の西縁は一直線に巨大な高土塁がつながり、強力な遮断線をとなっています。
曲輪を削平する段階で、尾根の上部を削り残したのではないでしょうか?

この土塁を乗り越えて、城の西側に抜ける道がつけられています。


この道は「天下道」とよばれ、中世に整備された秋田から男鹿半島先端へ抜ける重要な街道でした。
土塁を越えた城の北側にはさらに曲輪があったようですが、道が藪にのまれており断念。引き返します。

「天下道」脇本城の城内を抜けていました。先ほど出た2つの曲輪群に挟まれて、その交通を完全におさえるようになっています。

藪にのまれて一部で通行できないところがありますが、現在遊歩道として整備が進められています。

続いて内館と呼ばれる曲輪群を見ていきます。

虎口。

巨大な堀切をまたいだ東側はひときわおおきな曲輪が2つつながっています。

巨大な土塁を越えた、最も東側の曲輪が主郭と考えられています。

西側と北側に巨大な土塁があり、その高さは5mほどはあるでしょうか?
先ほどの西縁の土塁といい、西から北側の防御がひときわ厳重な印象を受けます。しかしながら、男鹿半島先端方に脅威と考えざるを得ないような敵対勢力の存在は考えにくいです。もしかしたら防御というよりは、冬に吹く季節風を避けるためのものなのかもしれません。


眼下に広がるのは、脇本の城下町です。
街道の両側に間口が狭く細長い短冊状の地割が今も残ります。

駅に戻る途中、先ほどの城下町を歩いてみました。
建物は変わりましたが、雰囲気は残されています。


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