カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

茨城県の沿岸を結ぶ鹿島臨海鉄道

7月14日は天気が安定せず、水戸駅は厚い雲の下でした。

 

8:56発の鹿島神宮行きに乗車します。

大洗までは利用客が多く、2両編成の列車には100名弱の乗車があったと思います。

 

鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は、国鉄鹿島線の延伸部を引き受け、1985年に開業しました。

日本鉄道建設公団が建設した線路は線形がよく、高架線路を滑るように進みます。

 

大洗着。後ろの車両を切り離しこの先は単行となります。

利用客数に段差ができる当駅は運転上の拠点でもあります。車庫が併設され、水戸からの列車の約半数は当駅止まりとなります。

 

雨が強くなる中、新鉾田着。

 

新鉾田に来たのは17年ぶり。

当時は鹿島鉄道が健在で、鉾田駅から新鉾田駅まで歩くというのがわかりやすい抜け道でした。



鹿島駅からはJR鹿島線に乗り入れますが、このあたりはいささかややこしい状況になっています。

鹿島駅は元来貨物駅ですので乗降することはできませんが、運賃の計算上の境界となっており、あたかも駅があるかのような扱いになっていました。

1994年に、この場所に鹿島サッカースタジアム駅が開業したことで状況はシンプルになった、かとおもいきや、当駅は臨時駅でサッカー開催時のみの営業のため普段は乗降できません。

ただ、運賃計算上の境界ですので、鹿島サッカースタジアム駅への切符は常時発売されている由。


鹿島臨海鉄道はもともと工業地帯の輸送を目的とした貨物鉄道でした。神栖市に線路を伸ばす鹿島臨港線では現在も鹿島線に乗り入れる2往復の貨物列車が運行されています。

また、1976年から1983年までは新東京国際空港(成田空港)へのジェット燃料輸送を担っていました。

おりしも成田闘争が激化していたころですので、鉄道を狙った事件も起きているようです。

加えて、燃料輸送のバーターとして、鹿島神宮駅から神栖市鹿島港南駅まで15.4kmの旅客輸送が行われていたことがあります。

この旅客輸送を引き受けたのは本意でなかったようで、運行本数は3往復と少なく、利用客数も平均30人に届かなかったため、1983年に燃料輸送が終了するとすぐに廃止されています。

この時も北鹿島駅から国鉄鹿島線に乗り入れるという形がとられていることから、この「北鹿島駅ややこしい問題」は1970年代から続いていることになります。

 

 

鹿島神宮駅に到着。

 

鹿島線の列車も運転本数が少なく、乗り換え列車まで1時間以上待つことになりました。

双方運転本数が少ないので、せめて接続はよくしてほしいというのが素直な希望。

 

鹿嶋市は都内との間に高速バスが頻発していますので、そもそも鉄道自体が蚊帳の外という感じがします。駅前も人の姿が乏しく、寂しい感じでした。

 

 

 

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