地元では「土電」と呼ばれているという高知の路面電車。
「土佐電気鉄道・高知県交通・土佐電ドリームサービスの3社の経営統合・共同新設分割方式により2014年(平成26年)10月1日に設立(Wikipedia)」されたとさでん交通㈱により営業されています。
土佐電気鉄道から移管されるという話が出たときに、もしかしたら廃止になるかもなんていう変な心配をしましたが、元気に営業を続けているようで安心しました。
「土佐電気鉄道・高知県交通・土佐電ドリームサービスの3社の経営統合・共同新設分割方式により2014年(平成26年)10月1日に設立(Wikipedia)」されたとさでん交通㈱により営業されています。
土佐電気鉄道から移管されるという話が出たときに、もしかしたら廃止になるかもなんていう変な心配をしましたが、元気に営業を続けているようで安心しました。
土電の後免町停留場は道を挟んですぐ。単線の線路をホームが挟む2面1線の構造です。
そして、その向かいには「安芸線電化開通記念碑」があります。
安芸線は後免~安芸を結んでいた土佐電気鉄道の鉄道路線。市内線と直通運転もしていたそうなので、今でいうと広島電鉄に近い感覚でしょうか。1974年に廃止になりましたので、すでに40年以上が経過しています。余談ですが、廃線跡の一部はごめん・なはり線の建設に使用されたとのこと。ごめん・なはり線の開通は2002年ですので、安芸の人々は30年弱の時を経て鉄道を取り戻したということになります。
そして、その向かいには「安芸線電化開通記念碑」があります。
安芸線は後免~安芸を結んでいた土佐電気鉄道の鉄道路線。市内線と直通運転もしていたそうなので、今でいうと広島電鉄に近い感覚でしょうか。1974年に廃止になりましたので、すでに40年以上が経過しています。余談ですが、廃線跡の一部はごめん・なはり線の建設に使用されたとのこと。ごめん・なはり線の開通は2002年ですので、安芸の人々は30年弱の時を経て鉄道を取り戻したということになります。
駅を出たところが留置線になっています。
乗車したのは元山陽電気軌道の800形。
駅を出るとすぐに複線になります。
国道195号線に沿った専用軌道を進みますが、道路との間に柵などはありません。
アスファルトの路面が後免町方面行の線路のまで来ていますので、路面電車の車両限界は実質車道にはみ出していることになります。
国道195号線に沿った専用軌道を進みますが、道路との間に柵などはありません。
アスファルトの路面が後免町方面行の線路のまで来ていますので、路面電車の車両限界は実質車道にはみ出していることになります。
日本一隣接駅間距離が短いという、一条橋停留場と清和学園前停留場を通過。
その後も専用軌道とも併用軌道ともつかないような線路を進みます。
はりまや橋に到着。この日はこの停留所前のホテルに宿泊しました。
途中の鏡川橋停留場からは単線になります。輸送人員からみても境目になっているようで多くの列車がここで折り返していきます。
鏡川橋を専用の鉄橋で渡って、細い路地に入っていきます。
ここは、土電の中でも最も好きなところです。
単線の線路が道の端に敷かれています。道路自体はセンターラインが引かれた2車線ですが、その道路を電車は逆走する形で進んでいきます。
ここは、土電の中でも最も好きなところです。
単線の線路が道の端に敷かれています。道路自体はセンターラインが引かれた2車線ですが、その道路を電車は逆走する形で進んでいきます。
県道386号線、国道33号線沿いの併用軌道のような専用軌道を進みます。
そして終点の伊野停留場に到着。
2面2線の停留場ですが、駅舎に面した北側の線路しか使用していないため、事実上1面1線となっています。
駅の北方向に延びる線路は1999年に役割を終えた伊野車庫への引き込み線の跡です。
現在は本線との分岐器は撤去されているので、純然たる?廃線跡ということになります。
2面2線の停留場ですが、駅舎に面した北側の線路しか使用していないため、事実上1面1線となっています。
駅の北方向に延びる線路は1999年に役割を終えた伊野車庫への引き込み線の跡です。
現在は本線との分岐器は撤去されているので、純然たる?廃線跡ということになります。
土電はいつ乗っても楽しいです。運転台からの風景は見飽きることがありません。
細い路地を軒先をかすめるようにして進む電車。道路との境があいまいなまま敷設された線路。
人間の生活と電車がとても近い存在であることが感じられます。
おそらく昭和の中期ごろまではこのような風景は日本各地で見ることができたのでしょう。私が生まれるずっと前の話ですが。
そんな風景が今も見られるというのはとても貴重でありがたいことだと思うわけです。
おそらく一度事故などが起こるといろいろ対策が求められてこの風景は失われてしまうと思うので、これからも安全第一で運行を続けていただきたいと思います。
細い路地を軒先をかすめるようにして進む電車。道路との境があいまいなまま敷設された線路。
人間の生活と電車がとても近い存在であることが感じられます。
おそらく昭和の中期ごろまではこのような風景は日本各地で見ることができたのでしょう。私が生まれるずっと前の話ですが。
そんな風景が今も見られるというのはとても貴重でありがたいことだと思うわけです。
おそらく一度事故などが起こるといろいろ対策が求められてこの風景は失われてしまうと思うので、これからも安全第一で運行を続けていただきたいと思います。