7月23日、横浜で用事があったので少し早めに家を出て石川町駅で下車しました。
石川町駅は中華街や山手の洋館群、港の見える丘公園などに近い横浜観光の拠点となる駅の一つですが、そんな観光客を尻目に商店街を抜け、本牧通りへ。
右を見ると、道が2つにわかれてその先にトンネル、山手隧道です。
石川町駅は中華街や山手の洋館群、港の見える丘公園などに近い横浜観光の拠点となる駅の一つですが、そんな観光客を尻目に商店街を抜け、本牧通りへ。
右を見ると、道が2つにわかれてその先にトンネル、山手隧道です。
内部は補強されているのか割に近代的。
断面が凸型になっているような・・・。
断面が凸型になっているような・・・。
山手側に抜けました。
奥の橋は桜道橋。トンネルの意匠とマッチした道路橋です。この橋も認定歴史的建造物です。
奥の橋は桜道橋。トンネルの意匠とマッチした道路橋です。この橋も認定歴史的建造物です。
折り返します。
南方向への車線があるトンネルは第二山手隧道と呼ばれています。
先に通ってきたトンネルより近代的な外観ですが、実はこっちの方が古かったりします。
先に通ってきたトンネルより近代的な外観ですが、実はこっちの方が古かったりします。
このあたりの経緯はWikipediaが簡潔にまとめてくれているので引用します。
1911年(明治44年)、横浜市電の元町停留所と桜道下停留所(トンネル開通後に麦田町停留所に改称)の間の山手町の丘陵地の下に、全長215mの市電専用の本牧隧道が開設された。山手地区に掘られたトンネルとしては最も古いものであり、トンネルの前後は横浜市電唯一の専用軌道区間であった。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災の復興事業として、内務省復興局の設計・間組の施工により、市電トンネルの西側に並行して全長268mの山手隧道が建設された。アーチ型の断面で、当時の道路トンネルの幅員としては日本最大であった。意匠は同時期に麦田町側に建設された桜道橋とあわせたものとされた。1927年(昭和2年)、歳末の繁忙期に合わせて部分供用され、翌1928年3月16日に開通式典が挙行された。 1972年に市電が廃止されると、本牧隧道は第二山手隧道と改称され、南行き一方通行の道路トンネルに改められた。これに合わせ、従来の山手隧道は北行き一方通行となる。
出自の違いによるものだと思いますが、高さなどの断面形状も異なっているようです。
トンネルを抜けて石川町に戻ってきました。