グラバー園入口から15分ほど、女神というバス停で下車しました。
ここは長崎港口に架かる長崎女神大橋の袂。
そのまま国道499号線を南下すると、看板が出ています。
南部下水処理場の敷地の裏塀に沿って進みます。本当にここで合っているのでしょうか?
道はすぐにつづら折れの急坂になりました。
登ること数分、目の前に立派な石垣が現れました。第三増台場の跡です。
この石垣の下に看板があります。
分かりにくいので、見逃さないように。
私は見逃しまして、帰りに気づきました。
分かりにくいので、見逃さないように。
私は見逃しまして、帰りに気づきました。
石垣の上の立つと、視界が一気に開けました。
さらに上に登っていきます。
すると苔むした石段、石垣にぶつかりました。第二増台場です。
ここからは見上げると、唯一の現存建造物、石蔵が見えます。
あそこにはどうやって上がればよいのでしょうか?
あそこにはどうやって上がればよいのでしょうか?
第二増台場の石垣の上。樹木が茂り、眺望はききません。
さらに上へ。第一増台場まで登ってきました。
この魚見岳台場は、長崎港口の台場の中でも一番最後、1810年に造られた増台場4か所のひとつです。
ネットで調べると、建造したのは福岡藩黒田家らしいです。
でも、ここで見つけた軒瓦、そこにかかれた家紋は黒田家のものではありません。
自分が無知なだけかもしれませんが、どなたかスッキリした説明をいただけないでしょうか?
ネットで調べると、建造したのは福岡藩黒田家らしいです。
でも、ここで見つけた軒瓦、そこにかかれた家紋は黒田家のものではありません。
自分が無知なだけかもしれませんが、どなたかスッキリした説明をいただけないでしょうか?
先ほどの石蔵へ行きたいです。でもここまで登ってきても石蔵への道が見つかりません。
というわけで、強引に斜面をくだって石蔵のそばへ。
というわけで、強引に斜面をくだって石蔵のそばへ。
加工した石をピッタリと積み上げた、とても精巧な造りです。
当時は火薬庫とか弾薬庫とかに使っていたのでしょうか?
大きさとしては、公園によくあるような小さな公衆トイレといった感じでしょうか?
当時は火薬庫とか弾薬庫とかに使っていたのでしょうか?
大きさとしては、公園によくあるような小さな公衆トイレといった感じでしょうか?
ここからどうやって戻りましょう?
周囲を見回したら、草葉の陰に、第二増台場におりる石段を見つけました。
ただ、石段は狭く、樹木にツタがからみ、コケが生えていて滑りやすそう。
しかも、石垣は5m以上の高さがあります。落ちればただではすみません。
周囲を見回したら、草葉の陰に、第二増台場におりる石段を見つけました。
ただ、石段は狭く、樹木にツタがからみ、コケが生えていて滑りやすそう。
しかも、石垣は5m以上の高さがあります。落ちればただではすみません。
格好悪いとかそんなことは言っていられない、ということで、両手両足にお尻もつけた5点支持でおっかなびっくりおりました。