カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

平和への祈り、忘却への抗い

具志川城を出てさとうきび畑の間を歩いていきます。

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喜屋武岬まで700mという看板を見つけました。バスの時間まで少し余裕がありそうだったので寄り道することにしました。

潅木の間を抜けて到着した喜屋武岬には駐車場と灯台と、そして平和の塔と名付けられた慰霊碑。

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ここは沖縄戦跡国定公園沖縄戦末期、追い詰められて行き場をなくした多くの住民がここ喜屋武岬から身を投げました。
いまは、青い海と空が広がるだけです。

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喜屋武岬から歩いて30分ほどで波平入口に到着。琉球ガラス村の前にあるバス停です。
10:12発のバスに乗車。平和祈念堂入口までは10分ほどの乗車時間でした。

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バスを降りると目の前が平和祈念公園の中央口です。
まずは平和祈念資料館へ。修学旅行以来ですから16年ぶりです。

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そして、平和の礎。

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沖縄戦の犠牲者の氏名が刻まれた大理石の屏風の先には平和の火。そして海。
その向きは、慰霊の日である6月23日の日の出の方向に合わせてあります。

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現在もなお、刻銘が続けられています。

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様々な祈りがここにはあります。

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摩文仁の丘にも登ってみました。

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その行き止まりにあるのは、黎明の塔。

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第32軍司令官牛島満中将とその参謀長勇中将を祀っています。
黎明…彼らの死によってある時代が終わり、別の時代が始まったということを思えば、ふさわしい名前かもしれません。

その第32軍がこもった壕がすぐ下に残っています。

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そして、立ち並ぶ数々の慰霊碑。

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でも、慰霊碑も平和の礎も資料館の展示もすべてが過去の出来事。
そして、人間は過去を生きることはできないから、過去にから逃げてしまうこともできる。
慰霊の言葉も平和の誓いも、閉ざされた目、ふさいだ耳に届くことはない。
そして、私たちはまた同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか。
最近の世相を考えるとき、ふと、そんな思いになることがあります。

平和祈念資料館の特別企画展「沖縄県民の戦争被害と次代への継承」に展示されていた一遍の詩。
浦添市立港川中学校3年、相良倫子さんの「生きる」。2018年6月23日の沖縄全戦没者追悼式で朗読されたものです。
どんな展示よりも、説明よりも、この詩が心に刺さりました。(長いので最後の部分のみ引用します)

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。



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