カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

日本陸軍鉄道連隊の足跡 その2 (千葉公園周辺)

9月9日の話の続きです。
JR総武線津田沼から千葉へ。千葉駅北口から歩いて千葉公園を目指します。

千葉公園へは千葉都市モノレールで1駅です。ただ、歩いても遠くありません。
余談ですが、モノレールの軌道桁が通っている道路は、このあたりの軍施設へとつながる軍用鉄道の線路敷跡。この日は暑くて断念しましたが、いずれは歩いてみたいものです。
この日は公園への直線コースで。10分ほどで到着しました。

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1949年頃から千葉市初の都市公園として整備された千葉公園。綿打池を敷地内に取り込み、野球場や植物園があります。
ちょうど、モノレールが駆け抜けていきました。

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今では想像するのは困難ですが、このあたりには終戦まで軍関係の施設が密集していたといいます。
ここ、千葉公園の敷地も終戦までは鉄道第一連隊演習所でした。

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園内のあちこちにその痕跡が点在しています。
今回はその痕跡を探すのが目的です。

まずは綿打池の南側。荒木山と呼ばれる小高い丘に行ってみます。
連隊のラッパ手の訓練が行われていたことから、「喇叭山」と呼ばれていましたが、その後、訓練中に殉職した荒木工兵大尉の銅像が建立されたことから「荒木山」と呼ばれるようになった由。

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山の上には何もありません。銅像は戦時中供出されてしまったとのことです。

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次は架橋演習用橋脚。池のほとりに突如現れるコンクリートの塊は高さ5mくらいはありそうです。

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背後の丘の上にも痕跡があります。

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近くの案内看板にあった当時の写真。綿打池のある谷を跨ぐように演習が行われていたようです。

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いったん戻って、池の北側に向かいます。
すると、風化したコンクリートの塊が現れます。
「ウインチ台とされる」と書いた看板がありました。つまりは何に使用されたものか明確になっていないということみたいです。

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このまま千葉公園駅の方に向かいます。
駅へ上がる階段のすぐ横。千葉公園管理事務所の敷地に演習用のトンネルが残されています。
この日は日曜日で管理事務所自体は閉まっていましたが、見回りの係の人がたまたまいたので、声をかけて敷地に入りました。

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周囲にはトンネルを掘れるような山はないので、トンネルの構造体だけが置かれた風景はとても不思議です。どのような訓練がおこなわれていたのでしょうか?

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公園を後にする前に落穂拾いを少々。
いずれも戦跡として表示されてはいませんが、何となく気になった構造物です。
もちろん、「気になった」というだけですので、全く関係のない構造物かもしれません。

まずは、荒木山のふもとにあった何かの架台らしきもの。四角が3つ並んでおり、さらに丸いのもあります。

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次に、階段。この階段だけ少し雰囲気が違います。ほかの階段に比べて踏面が狭いような気が…

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最後に、東千葉駅にほど近い住宅街の中にある椿森公園に寄り道。
ここには、鉄道第一連隊の敷地内、将校集会所の庭にあった築山が残っています。
単なる土の高まりにしか見えないので、何も知らなければ見逃してしまいそうです。

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看板や表示の類が何もない、という事前情報でしたが、立派な看板が設置されていました。
千葉公園内にあったものと同じデザインですので、一緒に整備されたものと思います。

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この近くには、連隊の前身である鉄道大隊の碑があるとのこと。公園から1ブロックほど西に行くだけで見ることができたはずですが、このときは気づきませんでした。
冒頭ででた千葉駅からの専用線跡、千葉経済大学の敷地内に遺るという陸軍鉄道第一連隊材料廠の赤レンガ倉庫、このあたりには見るべきものがたくさんのこっています。

気が向いたらまた来ようと思います。



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