カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

日本陸軍鉄道連隊の足跡 その1 (津田沼駅周辺)

大日本帝国陸軍鉄道連隊は「戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する」部隊です。
1896年(明治29年)に前身である鉄道大隊が創設されました。1907年に連隊に昇格するとともに津田沼に移転したとのこと。
1918年に2個連隊に増強され、第一連隊が千葉市作草部、第二連隊は津田沼におかれました。
と、ここまでがWikipediaの要約。どこまで正しいかわかりませんが。

鉄道の建設、運転に従事した部隊ゆえ、千葉県内に演習線を有していました。それは千葉から津田沼を経て松戸、さらには千葉から四街道という長大なもの。
このうち、津田沼~松戸間は新京成電鉄に転用されていることはよく知られているところです。
さらに面白いのは、訓練をかねて日本各地の鉄道建設を請け負っていたということ。
現在の東武野田線やJR久留里線小湊鉄道など千葉県内はもとより、JR身延線などの建設にかかわったとのことです。

鉄道連隊の痕跡は千葉県内のいたるところに残っています。
ホームページなど先達の資料を見ながら、私もその痕跡をたどってみることにしました。


9月9日、まずは新京成に乗車して新津田沼へ。
新京成線沿線にもさまざまな遺構がありますが、それは別の機会ということで、今回は津田沼まで乗りとおします。
駅を出て、すぐそばの津田沼一丁目公園に寄り道。

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ここには、鉄道連隊で活躍したK2蒸気機関車が保存されています。

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非常に小ぶりの軽便サイズ。でも小さな動輪と5軸の動輪は、スピードは出なくとも牽引力には優れていたことを想像させます。
柵があり、直接触れることはできませんが、しっかりした屋根がかけられていることもあり、保存状態は悪くありません。

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跨線橋をわたって、千葉工業大学に向かいましょう。
ここの正門は第二連隊の正門だったもので、国の登録有形文化財に指定されています。

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非常にきれいに保たれており、それが戦前の建造物であることを感じさせません。
(さすがに門扉は当時のものではないと思いますが)
ただし、細かい意匠は軍の格式を示すように格調高く感じられます。
というか、松戸で見た陸軍工兵学校の正門と雰囲気がとてもよく似ています。

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このあとは津田沼駅からJR総武線に乗車。千葉に向かいました。



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