太平洋戦争末期の1944年、本土空襲の激化と本土決戦を見据えて、皇居や大本営を含む政府中枢機能を移転を計画。松代に大規模な地下坑道が掘られました。
象山、舞鶴山、皆神山の3つの山の中に掘られたそれは総延長10kmに及んだといいます。
突貫で進められた工事のなかでは、特に朝鮮人労働者が果たした役割が大きく、工事に伴う犠牲者の数も多かったとのこと。
現在は、象山に掘られた坑道の一部が一般公開されているほか、舞鶴山のふもとに作られた天皇御座所を建物の外から見ることができます。
象山、舞鶴山、皆神山の3つの山の中に掘られたそれは総延長10kmに及んだといいます。
突貫で進められた工事のなかでは、特に朝鮮人労働者が果たした役割が大きく、工事に伴う犠牲者の数も多かったとのこと。
現在は、象山に掘られた坑道の一部が一般公開されているほか、舞鶴山のふもとに作られた天皇御座所を建物の外から見ることができます。
15分ほどで象山地下壕に到着しました。
象山は幕末の英傑佐久間象山の号の由来になった山です。
一般には「しょうざん」と読むことが多いと思いますが、松代では「ぞうざん」と読みます。
碁盤の目のように整然と掘られた坑道には、各政府機関、NHKなどが入る予定だったようです。
現在見学できるのはその中の500mほどです。
一般には「しょうざん」と読むことが多いと思いますが、松代では「ぞうざん」と読みます。
碁盤の目のように整然と掘られた坑道には、各政府機関、NHKなどが入る予定だったようです。
現在見学できるのはその中の500mほどです。
ヘルメットをかぶって入坑します。
入り口付近は幅が1m強、高さが2mくらいと非常に狭く掘られています。
角を曲がると徐々に広くなります。
奥までくると、幅5m、高さ3mほどになります。
奥までくると、幅5m、高さ3mほどになります。
坑内に照明はついていますが、数は少なく、薄暗いです。
目が慣れるまでは懐中電灯がほしくなります。
目が慣れるまでは懐中電灯がほしくなります。
公開部分の最深部に到達。折り返します。
舞鶴山を回り込むようにして到着。
さらに山すそを登っていくと、観測所の庁舎があります。
この庁舎、天皇と皇后及び宮内庁が移転することを想定して建設されたものです。
建物の大きさに比べてアンバランスなほど軒が厚いですが、これは空襲を想定したもの。当時はさらにこの上に土をかぶせて山と同化させ、カモフラージュしていたようです。
この庁舎、天皇と皇后及び宮内庁が移転することを想定して建設されたものです。
建物の大きさに比べてアンバランスなほど軒が厚いですが、これは空襲を想定したもの。当時はさらにこの上に土をかぶせて山と同化させ、カモフラージュしていたようです。
もし、この地下坑道が完成し、本格的に使われるようになるまで戦争を続けたらどうなっていたのでしょう?
逆に、工事に着手する前に、戦争を終わらせる決断をしていたら?
逆に、工事に着手する前に、戦争を終わらせる決断をしていたら?
確実に言えることは、1944年の時点で趨勢は決していたということ。
さらには、戦争を終わらせるための水面下の動きはいくつもあったこと。
さらには、戦争を終わらせるための水面下の動きはいくつもあったこと。
もちろん、歴史にたらればを言っても仕様がないことですし、何か結論が得られるわけではありません。
でも、あの戦争で日本は「大失敗」をしたのは事実ですから、その記憶はとどめておくべきだと思っています。
でも、あの戦争で日本は「大失敗」をしたのは事実ですから、その記憶はとどめておくべきだと思っています。
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