武蔵松山城のすぐそば、歩いて数分のところに国指定史跡「吉見百穴」があります。
ちなみに、私はずっと「よしみひゃっけつ」と読んでいましたが、いろいろなパンフレットやホームページを見ると「よしみひゃくあな」と読むのが主流みたいです。
入場料300円也。
余談ですが、入口の横に休憩所あって、、いろいろなパンフレットをもらえます。
武蔵松山城関係も豊富。城跡に行く前にこっちに来た方が良かったかもしれません。
目の前には、凝灰岩が露出した斜面に並ぶ横穴墓。独特の景観が広がります。
古墳時代後期につくられたもので、穴の数は全部で219といわれています。
中をのぞいてみると、台座のような構造がみえます。ここに棺を置いたのでしょうか?
また、岩山の下の方にある穴にはヒカリゴケが自生しているものがあります。関東におけるヒカリゴケの自生地は非常に貴重で天然記念物に指定されています。
一時期より個体数を減らしているようで、現在は、穴の入り口に金網、そして湿度を保つための水が入った甕が置かれ、厳重に管理されています。
隙間からのぞき込むと、かすかに緑色に光っているのがわかります。
写真ではよくわかりませんね。素人の手には負えません。
また、同じ岩山に、人が立って出入りできるほどの大きな穴も開いています。
これも、横穴墓・・・ではなくて、太平洋戦争末期に造られた中島飛行機の地下工場の跡です。
山腹のあちこちに坑口があります。
工事は突貫で進められましが、このために、横穴のいくつかは破壊されてしまったとのこと。
内部の見学ができたようですが、落盤の危険があるため、現在は立入禁止になっています。
地下の軍需工場は、松山城の下にも造られました。
それらしい坑口がありました。
もうひとつ。見つけたと思ったら、これは個人で掘っていたものだそうです。
「岩窟ホテル」という名前で、廃墟好きの間では有名らしいです。
ただ、戦時中は軍需工場ともつながっていたという話もあるみたいなので、無関係ではなさそうです。
松代の大本営もそうですが、こういった遺構を見ると不思議な気持ちになります。
重要施設を地下に移さざるを得なくなった時点で、負け戦は確定していたと思うのですが、
いろいろな情勢や思惑がからんで、1945年8月まで戦争は続きました。
10年以上も戦争しているので投了に躊躇する気持ちもわからないではありませんが、その間犠牲になったのは、前線で戦っている兵士、そこに巻き込まれた一般市民です。
大日本帝国が起こした、あのときの「失敗」を忘れてはいけないと思います。
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