5月1日の話。
朝の飛行機で長崎へ。バスに乗り換えて、10時過ぎに新地中華街に到着しました。
すぐ路面電車に乗って、市役所で下車。
目の前に山肌にへばりつく家々がせまり、壁のよう。
長屋風の建物は長崎歴史文化博物館。この日は休館日でした。
博物館の裏手が最初の目的地、長崎県防空本部跡(立山防空壕)です。
終戦近い1945年ころ掘られ、空襲時には長崎県庁が避難し、消防や救護の拠点として機能したとのことです。
戦後は打ち捨てられていたようですが、2005年に補強、再整備の上一般公開されました。
壕内は補強の手が入っているものの、当時の雰囲気がよく残ります。
8月9日の原爆投下時は、爆心地からは山の陰になったため大きな被害は免れたようです。
一旦外に出て、防空監視隊壕へ。最も大きな空間かと思います。
この日はメーデー。長崎市民会館前の広場では集会が行われていました。
ロシアによるウクライナ侵攻の例を出すまでもなく、戦争の足音が少しずつ近づいてきている気がします。
そして、それにダシにするようにして、国内では時計の針を逆行させるような言説が幅を利かせるようになりました。それを政治家や財界など指導的な立場にある人が率先して発信しているのがなおさらうすら寒い。
戦争になったとき、直接的に被害者、加害者になるのは我々一般市民です。
人間は過去からしか学ぶことができません。もう少し賢くならないといけないと思います。
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