先日行った、葛飾区水元公園にある閘門橋に関連して、「近代化遺産」とか「産業遺産」というワードで検索を掛けると、
私の家から歩いて10分ほどのところに明治の遺産があることがわかりました。
灯台下暗しですね。
私の家から歩いて10分ほどのところに明治の遺産があることがわかりました。
灯台下暗しですね。
小山樋門と名付けられたそれは、千葉県内に現存する最古の煉瓦造水門とのことです。
水門としての機能は停止していますが、県道松戸野田線の道路橋として、今も使い続けられています。
松戸駅から歩いて20分ほど、角町の交差点の向こう、白い柵のある所の下に小山樋門があります。
水門としての機能は停止していますが、県道松戸野田線の道路橋として、今も使い続けられています。
松戸駅から歩いて20分ほど、角町の交差点の向こう、白い柵のある所の下に小山樋門があります。
2016年に土木学会選奨土木遺産に認定。地元ではレンガ橋やめがね橋とも呼ばれているみたいです。
小川樋門が作られたのは、江戸川の支流の一つである坂川。流山市野々下に源を発し、江戸川に沿うように南下、市川市国府台で江戸川に合流する約16kmの河川です。。
水源から河口までの高低差が少ないため、しょっちゅう江戸川から逆流して氾濫していたとのことです。その様から別名「逆川」とよばれたりもしました。
治水のためにいくつもの放水路や水門が作られました。小山樋門もそのひとつです。
明治31年完成とのことですから、今年でちょうど120年になります。
水源から河口までの高低差が少ないため、しょっちゅう江戸川から逆流して氾濫していたとのことです。その様から別名「逆川」とよばれたりもしました。
治水のためにいくつもの放水路や水門が作られました。小山樋門もそのひとつです。
明治31年完成とのことですから、今年でちょうど120年になります。
上流側から見た小山樋門。3連アーチの構造がよくわかります。
レンガアーチ橋の上を通る県道は、江戸川沿いに野田と市川を結ぶ幹線道路で、とても交通量が多いです。
その交通量を支えて120年。未だに現役というのは、明治の人々の仕事がいかに優れていたかの証であるように思います。
その交通量を支えて120年。未だに現役というのは、明治の人々の仕事がいかに優れていたかの証であるように思います。
身近なところに眠る過去とのつながり、まだまだ探せば見つけられそうです。