カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~田辺城~ 【2013.12.29】

田辺城は西舞鶴駅から歩いて5分、JR舞鶴線の線路沿いにあります。
堀はすべて埋められていますが、復興された櫓門と彰古館と名前が付けられた姿の良い二重櫓があります。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3


門は重厚な渡櫓となっています。中は資料館になっているようですが、年末休館なので入ることができませんでした。

イメージ 4

イメージ 5


園内には現在の地図に当時の縄張を重ねた様子が描かれた看板があります。
こういうのはありがたいです。遺構の判断の手掛かりになりますし。

イメージ 6


この看板によると櫓門の位置は堀…つまり完全な模擬建築なんですね。
もっともらしい造りなので勘違いしそうになりました。

一方、彰古館のあるところは当時の塁線で間違いないようです。
ちょうど角に当たりますので、何かしらの建築があったのは間違いなさそうです。
ただ、彰古館自体は昭和15年に建築されたもので、当時は時代考証云々は問題にならなかったでしょうから、彰古館を念頭に想像すると大きな間違いになってしまうと思います。
ちなみに、彰古館の土台の石垣がほかの現存石垣と石の質が異なっているようですので、彰古館建築の際に新たに積まれたものだと思います。積み方が汚くて見れたものではありません。もうすこし何とかならなかったのでしょうか?

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9


本丸跡はささやかな公園になっており、子供連れの家族が雪遊びをしていました。
その片隅に天守台跡の石垣が残っています。
東側に張り出し部分があるL字型の構造ですので、付櫓のようなものを伴っていたのだと思います。
高さは1mほどしかありません。上部は崩れてしまったのでしょう。

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12


公園の裏側にはすぐJR舞鶴線が走っています。
その線路に沿うように斜めに石が並んでおり、ところどころ掘り返されて石垣が見えています。
先ほどの看板と照らし合わせてみると、ここが本丸の東側の塁線に当たることがわかりました。

イメージ 13

イメージ 14


公園は狭く遺構は壊滅的になくなっていますので、見るべきところはそれほど多くありません。
一方田辺城は関ヶ原の戦いのときに細川藤孝(幽斎)が籠って西軍を釘づけにしたという歴史の舞台であります。
田辺城の戦いについては調べるといろいろ面白いことが出てきそう。
遺構としての田辺城はいまいちと言わざるを得ませんが、史実と絡めるとまた違った見方ができそうです。


↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。
http://widget.blogram.jp/images/bgButton1_whi.gif
blogramランキング参加中! ←クリックはこちら。