カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

直方市石炭記念館

ダラダラと書いてきた夏の旅行話ですが、これが最後です。

田川伊田駅14:24発の直方行に乗車します。
所定ダイヤは田川線伊田線が直通ですが、この日は田川伊田始発。
2018年7月の豪雨により、田川線崎山駅と田川伊田駅が不通になっているためです。

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復旧に時間がかかっているのは心配ですが、営業している区間はほぼ所定の運転本数が維持されているようで安心しました。


南直方御殿口で下車。

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非電化で1時間に1本の運転本数であるにもかかわらず複線です。
運炭列車が行きかっていた往時の隆盛がしのばれます。

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駅北側の高台を目指して歩いていきます。


直方市体育館の横を抜けると、看板を発見。この高台には直方陣屋があったところです。
直方藩は福岡藩黒田家の支藩ですが、1720年に廃藩、その所領は福岡藩に吸収され消滅しました。

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掘底のような道を抜けていきます。

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目の前が開けました。


直方市石炭記念館は、明治43年に建てられた筑豊石炭鉱業組合・直方会議所の建物を中心に筑豊炭田についての資料を展示した博物館。
筑豊石炭鉱業組合については、舌禍も多い麻生太郎財務大臣のご実家、麻生グループのHPがわかりやすいと思います。

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まずは別館に入って、入館料100円(安い!)を払います。

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すると、すかさずガイドの人が声をかけてきて丁寧な説明をしてくださいました。
筑豊という地域名は「筑豊石炭鉱業組合」の名称に使われたのが最初。元々は筑前豊前は別の藩だったので、同じ地域という考え方がなかった。
・この組合は筑豊地域の採炭を統制するために地元資本が作った。財閥は後から加入した。*
筑豊石炭鉱業組合・直方会議所の建物の2階が会議室になっており、総会ともなると何十人も集まって会議をしていた。
・この博物館には組合の会議の議事録がすべて残っており、とても貴重。ほかの地域にある石炭関係の展示をしている博物館を含めてもこのような資料が残っているところはない。
筑豊各地にあったボタ山は、その後切り崩されて新幹線や高速道路の建築資材として使われた。才覚のある人は、ボタ山を二束三文で買い、建築資材として売却し、その跡地も有効活用して大儲けした。
・安川や麻生、貝島といった地元資本は、石炭全盛のころから経営の多角化を進め、地元に根付いてきたので、石炭が斜陽化した後も夕張のような悲惨な状態にはならなかった。
・この博物館には山本作兵衛の炭鉱画8枚を収蔵。いずれも本人から直接もらったもの。ユネスコの世界記憶遺産の指定からは外れているので、原画の展示も含め融通がきく。
・今年の秋に国の重要文化財に指定される予定。

ガイドさんは、もともと国鉄に勤めていたそうで、保存車両のひとつであるC11の運転台に上がって、蒸気機関車の動かし方をも教えてくれました。

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説明を聞くことに一生懸命だったので写真は少なめ。

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でも、山の中腹に延びている救護訓練坑道については言及したいです。

これは炭坑の事故に対応するため救護隊の養成、訓練を目的としてつくられた設備で、坑内に煙及び蒸気を通し独、英から輸入した救命器を身に着け実戦さながらに訓練を行っていました。
筑豊地区はもとより日本全国の炭鉱から優秀な坑員が派遣されてきたとのこと。
このような施設が直方に作られたことはもとより、その設備が今も残っているということに驚きを感じます。

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博物館への滞在時間が思ったより長くなってしまいましたので、いくぶんか早足で筑豊直方駅に向かいます。
17:00発の黒崎駅前行きに乗車。

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その後、黒崎駅からバスに乗り換え。北九州空港へ。
最終の飛行機で帰りました。


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