カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

戸定邸 (2017年6月11日)

松戸駅から歩いて10分ほど。
常磐線の線路沿い、江戸川を見下ろす高台に戸定が丘歴史公園があります。

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ここには、水戸藩最後の藩主である徳川昭武の別邸「戸定邸」があります。
明治17年の建築ですが、武家屋敷の間取りや面影を残す貴重な建物ということで国の重要文化財に指定されています。

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玄関で入場券を購入し、まっすぐ進むと、表座敷。

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芝生が敷き詰められた庭園が見事。
一面の芝生と刈り込まれた木々、西洋風の雰囲気を持つ庭園ですが、日本風の屋敷と不思議になじんでいます。

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この庭園も国の名勝に指定されています。
普段なら入ることができるようですが、この日は工事中。行かれる方は注意してください。

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木々の間からは江戸川。
天気の良い日には富士山も見えるとのことですが、残念ながらこの日は靄の中に霞んでしまっています。

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中座敷、奥座敷、離座敷とどんどん進みます。
表屋敷とちがってこちらは「奥向」の空間ですので、部屋の一つ一つがコンパクトに作られています。

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湯殿もあります。

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窓の外を見れば小さいながらも整えられた中庭。
とても良い雰囲気です。

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戸定邸を出て、戸定歴史館へ。
小さい博物館ですが、結構たのしめました。

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徳川昭武徳川斉昭の18男(斉昭は子だくさんですね)。幼少の頃より将来を嘱望されていたようで、若くして次期将軍候補と目されるようになりました。
1867年には将軍徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣され、その際にヨーロッパ各国を歴訪。
1868年に大政奉還により江戸幕府が消滅し、新政府の帰国命令に従う形で1869年に帰国。
その後、水戸藩の11代藩主になるなど活動しますが、1883年にわずか29歳で隠居。そして戸定邸をたてます。

徳川慶喜と同様写真が趣味であったようです。
近くを流れる坂川の川べりにこんな看板を見つけました。

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時代にほんろうされた人生。
徳川昭武は何を思って生きていたのでしょうか?



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