カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

月形樺戸博物館

1882年に設置された樺戸集治監。現在、本庁舎として使われていた建物が残り、月形樺戸博物館として開放されています。
集治監というのは今でいう刑務所のようなものといえば話は早いですが、少し性格が異なっていたようです。つまり西南戦争をはじめとする内乱の結果生まれた「政治犯」を収容し、北海道開拓の「人的資源」として活用することが目的でした。

博物館はJRの石狩月形駅から歩いて5分ほどのところにあります。月形町役場と同じ敷地内にあり、広い駐車場がとられています。

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内部は撮影禁止なので、画像はありません。。。

展示内容は集治監設置の経緯や囚人が果たした開拓の成果と月形町の発展との関わり、といったことが中心。
「樺戸集治監の囚人たちは北海道開拓の礎となった。彼らの果たした役割をもう一度正当に評価しよう」というような趣旨の展示となっています。
このあたりは月形町のHPが端的でわかりやすいです。曰く
明治維新期の日本は、国を良くしようと戦いが各地で起きました。戊辰戦争自由民権運動などが上げられます。明治政府がこの争いを収め、敗れた者たちは危険分子として収監されてしまいました。それが「集治監」(しゅうちかん)と言う国立の監獄だったのです。
北海道で最初に設置されたのが「樺戸集治監」(かばとしゅうちかん)。ここは、本州から送られると生きては帰ることのできない地として恐れられていました。戦いに敗れた者たちは、囚人として労役につきました。始めは、開墾し農地をつくり自給自足をしていましたが、後に、北海道の道路づくりに駆り出されました。これは、北海道内陸部の開拓の基礎となり、大きな功績を残しています。しかし、光のあたるところでの評価をされることはありませんでした。
そんな影の功労者を知っていただくため、2012年に展示を替えました。
http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/3614.htm

そのため、集治監という言葉につられて、たとえば網走監獄のような「行刑」の博物館というイメージで行くと物足りないと思います。
一方、開拓の資料館というイメージで見るととても面白いです。


博物館の裏には石油庫が残っています。当時からの現存建築は本庁舎とこの石油庫だけとのことです。

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石狩月形駅まで戻って、札沼線新十津川へ。折り返して札幌へ行きました。

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