地上駅時代は空港線の出入りが1番線しかできないため、都心~空港のみならず横浜~空港の列車も含めすべてを1番線で裁くというアクロバティックな対応を余儀なくされていました。
また、駅を出たところに国道との踏切があり、これが開かずの踏切として問題になっていました。箱根駅伝でも選手が立ち往生するなどある意味「名所」でした。
また、駅を出たところに国道との踏切があり、これが開かずの踏切として問題になっていました。箱根駅伝でも選手が立ち往生するなどある意味「名所」でした。
高架化後は上下線が重なり合う構造となり、本線には待避線も設けられたためかなり充実した設備を持つようになりました。
しかし、空港線の列車は都心だけではなく横浜方面との直通もあるため、発着番線が複雑になってしまったり、糀谷方に設けられたシーサスまでは単線並列にせざるをえないなど
ややこしさを完全に解消するまでには至りませんでした。
しかし、空港線の列車は都心だけではなく横浜方面との直通もあるため、発着番線が複雑になってしまったり、糀谷方に設けられたシーサスまでは単線並列にせざるをえないなど
ややこしさを完全に解消するまでには至りませんでした。
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