深大寺へは周囲の駅からバスが出ていますが自分は吉祥寺から行きました。
神代植物公園でおりて、深大寺を突っ切って、門前の喧騒を振り切って少し歩くと深大寺城跡に着きます。
神代植物公園の分園(水生植物園)の中にありますが、はっきりいってここまで来る人は少ないので、妙に閑散とした雰囲気です。
神代植物公園でおりて、深大寺を突っ切って、門前の喧騒を振り切って少し歩くと深大寺城跡に着きます。
神代植物公園の分園(水生植物園)の中にありますが、はっきりいってここまで来る人は少ないので、妙に閑散とした雰囲気です。
園に入ると正面に湿地帯が広がっています。
右側の小高い山が城跡ですが、湿地帯に突き出した舌状の地形がよくわかります。
湿地帯というのは兵を寄せ付けませんので、そこに突き出した台地は文字通り「守るに易く攻めるに難い」の地形といえるでしょう。
おまけに台地の根元側から順番に掘割で区切っていけば簡単に懐が深い縄張りを形成することができます。
関東の城は規模の大小はともかくこういった「谷津」の地形を利用した城が見られますが、
その典型がこの深大寺城だと思います。
右側の小高い山が城跡ですが、湿地帯に突き出した舌状の地形がよくわかります。
湿地帯というのは兵を寄せ付けませんので、そこに突き出した台地は文字通り「守るに易く攻めるに難い」の地形といえるでしょう。
おまけに台地の根元側から順番に掘割で区切っていけば簡単に懐が深い縄張りを形成することができます。
関東の城は規模の大小はともかくこういった「谷津」の地形を利用した城が見られますが、
その典型がこの深大寺城だと思います。
園の入り口から右側の坂道を登っていくと、突如広い芝生の空間に出ます。
二ノ丸にあたる空間で土塁が周囲をぐるりと囲んでいるのがわかります。
もっともこの土塁、元からあったものではなく復元したものらしいですが・・・
二ノ丸にあたる空間で土塁が周囲をぐるりと囲んでいるのがわかります。
もっともこの土塁、元からあったものではなく復元したものらしいですが・・・
本丸に入ると打って変わって木々が多い茂り、日差しが少ない鬱蒼とした雰囲気になります。
振り返ると二の丸との間にある土橋が見えます。土橋に横矢がかかる位置にある土塁がひときわ立派です。当時は矢倉かなんか建てられていたのでしょうか。
振り返ると二の丸との間にある土橋が見えます。土橋に横矢がかかる位置にある土塁がひときわ立派です。当時は矢倉かなんか建てられていたのでしょうか。
本丸から直接湿地帯へ降りていくこともできます。
細い道が山裾にそってのびていましたが、腰曲輪の名残でしょうか。
細い道が山裾にそってのびていましたが、腰曲輪の名残でしょうか。
歩き回ってみるとかなり大きな城であったことが実感できました。
いろいろ調べてみると扇谷上杉氏と後北条氏の勢力圏の境界にあった、戦略上重要な城だったようです。そのことを考えると、これだけの規模の城があるというのは不思議なことではないですよね。
いろいろ調べてみると扇谷上杉氏と後北条氏の勢力圏の境界にあった、戦略上重要な城だったようです。そのことを考えると、これだけの規模の城があるというのは不思議なことではないですよね。
ランキングサイトに参加してみました。⇒http://www.269rank.com/