カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

訪城記 ~高知城~ 【2011.5.2】

このまえの大河ドラマ龍馬伝』しかり、最近は妙に坂本龍馬ブームだと思うわけです。
高知の街も龍馬を中心とする幕末の志士たち一色でした。
そんななかで高知城はちょっと影が薄くなったような気がしないでもありません。ま、仕方ないですが・・・ね。

高知城へは土電の高知城前電停から歩いて5分くらいでした。
すぐに堀端にでます。土塁の高さが妙に低いです。改変されてしまったのでしょうか。
堀沿い進むと、大手門。下見板張が無骨な感じですが想像より小さい建物でした。
見上げれば天守が。「大手門と天守が一緒に撮影できる唯一の城」とのことですが、それはどうだか・・・

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大手門をくぐって石段を登っていくと三の丸跡。
その途中には山内一豊の妻千代の銅像があります。『功名が辻』をやってたころは賑わったと思いますが、いまでは振り返る人も少ないようです。

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二の丸に向かうと正面に詰門。二の丸と本丸の谷を仕切り、2階は二の丸から本丸への廊下橋になっています。
案内板によれば、「二の丸に向かおうとすると正面に詰門がみえるため、敵は正面が本丸へのルートだと勘違いしてしまう」というもの。
二の丸へは詰門の前を90°右折する必要があります。

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二の丸はわりと広い空間です。当時は御殿があったようです。本丸があまり広くありませんので、日常的には二の丸の御殿を使用していたのではないかと勝手に想像します。

その本丸へは詰門の上の廊下橋を渡ります。
天井が低く、狭い空間なので、敵の行動をかなり妨げることが出来そうです。
いざというときには焼いてしまえば二の丸と完全に分離できるのですから巧妙な縄張りです。
門をくぐって石段をあがると本丸です。

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高知城の本丸は天守は勿論、御殿、櫓、門、塀に至るまで全てが残る唯一無二の例です。
非常に狭い空間なのでそれらが全てこじんまりと機能的に造られているのが印象的です。
懐徳館と名づけられた本丸御殿も武家屋敷の設備としてはフルスペックですが、大きさはちょっと大きな民家程度しかありません。
天守についても同様で、4層6階の大きな建物でありながら、平面積は非常に小さいものです。
本丸御殿と同じ面に立てられているため、階段を上ることなくそのまま天守1階に入れてしまうのが不思議な感じでした。
それでも、最上階の眺望はすばらしいものがあります。城下を遍く見渡すことが出来ます。ちょっと目線を下に移すと、大手門から三の丸、詰門、二の丸と登城ルートの全てを視界に収めることができます。
これはすばらしい。縄張の妙を感じた瞬間でした。

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天守を降りて、帰りは黒門から搦手方向に向かいました。こちらのルートも道は狭く常に本丸からの攻撃に晒されますので、攻めあがるのはかなり難しそうです。
天守の下を通って、着いたのは詰門の前。なんだか迷路みたいです。
結局、また大手門をくぐって、高知城を後にしました。

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この日は、朝一番で桂浜と坂本龍馬記念館に行って、その後に高知城、山内家下屋敷の長屋を見て、山内神社山内容堂像に一礼、最後に坂本龍馬生誕地の石碑を見ました。
もう少し時間があったのですが、いい加減疲れたので、そのまま空港へ。夕方の飛行機に乗って家に帰りました。
高知は見るべきところがいっぱいあるので、1日そこらでは回りきれません。
テーマを絞ることと、事前のリサーチが重要だと思います。
旅人は時間が無限にあるわけではありませんので。

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