カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

東洋のマチュピチュに行ってみました (別子銅山 東平地区)

新居浜は住友の城下町、別子銅山とともに発展してきました。
最近では、東平地区が「東洋のマチュピチュ」として宣伝され、脚光を浴びるようになって…
とても行きたくなりました。


そんなわけで、5月1日の11時くらい、新居浜駅に降り立ちました。
駅までの送迎付きのプランを申し込んでいたので、マイントピア別子の方が迎えに来てくれました。
車の中での会話では
・下部鉄道が予讃線より先に開通したため、市街地は下部鉄道沿いに発展した。
・住友の中核6社は全て新居浜に由来がある。
新居浜市民の70%は何かしらの形で住友にかかわっている。
・住友共同発電の電気は住友の工場や社宅で使用されている。四国電力よりかなり安い。
・主な史料は別子銅山記念館が保有している。
などなど
言葉の端々に住友への愛がにじみ出ていました。さすが企業城下町
そして、今回は別子銅山記念館に行く時間がありません。無料ながらとても充実しているとのこと。のっけから課題が残りました。


マイントピア別子は鉱山跡地に建てられた観光施設。
しかし、道の駅併設の端出場ゾーンには、鉱山遺跡という面で見るとみるべきものは多くありません。
もともとは、工場やホッパー、事務所や社宅が立ち並んでいたそうですが、全て取り払われ、
現在は、温泉施設やらバーベキューコーナーやらイベント広場やらおよそ鉱山とは関係のない施設が立ち並んでいます。
もちろん、坑道や、鉄橋、水力発電所跡(将来は内部公開する予定とのこと)など、鉱山に関係したものも残されてはいますが…ね。

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東平ゾーンへはマイクロバスに乗り換えて30分ほどかかります。
道は行き違いができないほど狭い九十九折れ。冬季は全面通行止めになるそうです。
一般車の規制はないので、山を下りてくる一般車とギリギリのすれ違いを繰り返して登っていきます。
そして、頂上には思いがけないほど大きな駐車場があり東平ゾーンに到着しました。

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ガイドさんの説明を聞きながら進みます。
最上部からは新居浜の街が望めます。ただ、新居浜から見ると東平は山の影になっているそうで、ほとんど確認できないとのことです。
反対側の山の中腹には上部鉄道が通っていました。また水路も併設されていて、その水は端出場にあった水力発電所で使用されていた由。

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インクラインの跡。今は階段になっています。

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選鉱場と索道の跡。索道は端出場とつながっており、鉱石を降ろすとともに、生活物資の運搬にも使用していたそうです。
階段や歩道が整備され、草も刈られていますのでとても動きやすいです。(整備されすぎているかも)

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その他、病院、接待館(いわゆる迎賓館のようなものだと思います)、小学校、中学校、娯楽場などなどの跡地、
変電所や坑口、火薬庫の跡など、見るべきところはたくさんありますが
時間がありません。1時間の滞在では短すぎました。
こんどはもう少し時間をとってじっくり歩きたいです。また課題が残りました。


いろいろ不十分でしたが、駅まで戻って上りの特急に乗車。
岡山で新幹線に乗り換えて帰宅しました。


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