カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

しんぐう【駅名しりとり359】

新宮 (JR西日本

 



新宮市徐福二丁目という駅の住所が示す通り、新宮市は日本各地にある徐福伝説がのこる地です。

徐福は始皇帝の援助を受け、不老不死の霊薬を求めて東方へ船を出すものの消息不明になったと伝わる、中国は秦時代の「方士」。

その渡来地は諸説あり、日本に来たというのは伝説の域をでるものではありません。ただ、新宮駅の近くには徐福公園があり、園内には徐福の墓と伝わる石碑まであります。

もっとも、この石碑は1736年に紀州藩初代藩主徳川頼宣によって建立されたものとのことで意外に新しいものですし、公園が今の姿に整備されたのは1994年とごく最近のことです。

熊野古道世界遺産になって以降、熊野三山参詣の玄関口のイメージが強くなる一方ですが、徐福伝説も観光開発の重要なピースになっているようです。

 

 

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京王の座席指定列車「 Mt.TAKAO号」に乗車してみました。

日本の通勤ラッシュは過酷で、着席への需要は根強いものがあります。

輸送力の増強は至上命題でしたし、ラッシュの緩和は政治家の公約になるほどでした。

それを受けて優等車両を保有している小田急や京成、近鉄などは昔から通勤ライナー的な性格の列車を運転していましたし、京急では、快特用の2ドア車を使用したウィング号が30年以上の歴史をもっています。

 

しかし、近年は優等車両を保有していない会社が座席指定列車を設定したり、座席指定車両を導入する例が相次いでいます。

新型コロナにより需要そのものが縮小したこと、結果、輸送力増強とラッシュの緩和が至上命題ではなくなったこと、そして、デュアルシートの普及により専用車両を準備する必要がなくなったことが大きいでしょうか。

さらにいえば、今後人口が減少しパイが小さくなる中で、付加価値を高くすることで売上・利益を確保しようという営業努力の賜物ということになります。

 

特別料金が不要な列車に特別車両を連結するのは、東海道線や横須賀・総武快速線が嚆矢だと思いますが、南海や名鉄の例はあるものの、なかなか普及しませんでした。

状況が変わったのは、宇都宮線高崎線グリーン車が導入されたことです。そして、この成功により、常磐線や中央線にグリーン車が導入されていくことになりましたし、東急などや京王といった比較的短距離で通勤輸送がメインとなっている路線にも拡大したのは驚きでした。

個人的には、こういった追加コストにシビアといわれていた関西地区において、京阪がプレミアムカーを導入したことにびっくり。更にはその動きがJR西日本の新快速や阪急に波及したのも驚きです。

 

また、京王や西武、東武は新たにデュアルシートの新型車両を増備して通勤ライナーの運転を始めました。

新型車両といっても、日中はロングシートに転換して一般列車に充当できますので、徒に保有車両を増やすことにはなりません。

内装を転換して使うというのは583系みたいですね。デュアルシート車は座り心地が良く、ロングシート状態でも特別感があって好きですが、20m級4ドア車の場合、扉間の座席数が7席から6席に減ってしまうのが玉にキズという感じがします。

2017年運行開始の西武「S-TRAIN」は7年、翌年運行開始した「京王ライナー」は6年の歴史があり、すっかり定着したようです。

そして、土休日には観光用の座席指定列車も設定されるようになりました。

 

前置きが長くなりましたが、そんな座席指定列車に乗車した話です。

3月23日の土曜日、9:00発のMt.TAKAO1号の高尾山口行きです。

 

座席指定料金は410円。運賃が430円ですので単純に倍ということになります。
それでも混雑が激しい京王線において着席が保証されるというのはメリットですが、運賃が比較的割安な京王ですので、けっこう高いな、という印象を持ってしまいます。

 

車内は、車端部以外クロスシートに設定されています。
ドア間のシートは3列ありますが、1列目と3列目は戸袋部に半分掛かっており、車窓は期待できません。
照明を電球色に、そして中吊り広告もなくすことで高級感と落ち着きを演出していますが、頭上の吊革が通勤用車両であることをいやでも思い出させてくれます。

 

この日は、昼から雨の予報で気温も低かったので、観光客も少なめ。私がいた車両の乗客は5人ほどだったと思います。

 


高尾山口までの所要時間は43分。同区間を走る特急が55分ほどですので、かなりの快速。

乗車のみの明大前を発車すると、一気に加速。全列車が停車する調布を通過したのは新鮮な感じがしました。

明大前を出ると高尾山口まで停車駅はありませんので、この先も、普段停車する駅を通過する風景が見られるとワクワクしていたのですが、府中の手前で徐行、運転停車しました。

 

その後も、分倍河原聖蹟桜ヶ丘高幡不動、北野、めじろ台、高尾と特急停車駅に運転停車

府中から先はかなりスジが寝ているみたいです。

 

かなりゆっくり走った感じでしたが、定刻で到着。速達性を求める列車ではないということだと思います。

 

 

雨なので高尾山へはいかず、中央線、横浜線と乗り継いで、橋本から京王相模原線に乗車しました。

多摩ニュータウンを貫き、橋本で終点となっている相模原線ですが、1980年代まで津久井湖方面への延伸が計画されていました。更に西進して富士吉田方面を目指す構想もあったようです。

もし実現していたら、デラックスな特急専用車両が登場していたかもしれません。

 

橋本駅前はリニアの工事が始まっています。

再開発により京王の橋本駅も移設されるとのこと。延伸を見据えた構造になっている現在の駅がなくなれば、延伸構想は完全に過去のものになります。

 

 

 

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せんじゅおおはし【駅名しりとり358】

千住大橋 (京成電鉄

 

 

 

千住大橋が架橋されたのは徳川家康が江戸に入った直後の1594年のこと。関東地方の土木工事で必ずと言ってよいほどの名前がでる伊奈忠次の手による墨田川最初の橋でした。

その後何度かの架け替えを経て、現在の橋は1927年に関東大震災の復興事業によりかられたものです。

墨田川の舟運が盛んだった当時、帝都東京の水の玄関口として格式を持たせるべく、河口に近い永代橋とともに、優美なアーチ橋が採用されました。

1973年に下流側に新橋が建設され、さらに上流側に千住水管橋があるため、現在その美しいアーチを見ることは難しくなっています。

 

 

 

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訪城記 ~小坂城~ 【2024.3.16】

江戸崎駅から関東鉄道が運行する稲敷エリア広域バスに乗車。小坂団地で下車しました。

 

小坂団地は1969年頃に造成された大規模な住宅地。約1200の区画に2000世帯が住んでいるとのこと。

ただ休日の昼間のせいか人の姿に乏しく、閉店した商店や空き区画が目立つように感じます。

 

 

小坂城は、そんなニュータウンの東のはずれにあります。

 

小坂城は稲敷台地の南の縁、小野川がつくる段丘崖を利用して築かれた平山城です。

東に小坂の町を臨み、北側を通る鎌倉街道を押さえています。

小坂団地の造成と国道408号線の建設により周辺環境は大きく変化しましたが、遺構がよく残り、現在は公園として整備されています。

 

公園に入ってまず目に入るのは三の曲輪です。

 

二の曲輪への虎口を押さえ、馬出のような構造になっています。

 

東側には四の曲輪です。

三の曲輪との関係性、虎口の構造がよくわかりませんが、台地が続く先には鎌倉街道がありますので、橋頭堡的な役割だったのかもしれません。

 

二の曲輪への虎口。

 

入った正面と右側には一の曲輪の櫓台が張り出しており、虎口を突破した敵に十字砲火を浴びせることができるようになっています。

 

二の曲輪は一の曲輪をL字に囲んでいる城内最大の曲輪です。

 

一の曲輪への虎口は明瞭ではないようです。ただ、櫓台から横矢が掛かる現在の位置に違和感はありません。

橋が架かっていたかどうかは不明確とのこと。ただ毎回堀底に降りるのは不便なので、平時には橋が架かっていたのではないでしょうか?

 

一の曲輪は国道の建設のため1/3程が削られて失われています。

 

先ほどの櫓台の上から虎口をみたところ。

 

小さな城跡ですので、くまなく回っても小一時間ほど。

遺構は明瞭で保存状態もよく、公園としてよく整備されていますので、とても楽しめました。

 

 

 

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「自動車駅」の名残を伝える江戸崎駅

下総神崎駅からのバスを江戸崎ではなく、ひとつ手前の浜町で下車したのには理由があります。

江戸崎城に近いというのは当然ながら、乗り換える予定の稲敷エリア広域バスのバス停が近いというのが大きな理由でした。

 

江戸崎に集まるバス路線は江戸崎のバスターミナルに発着するものが多いですが、関東鉄道の江戸崎バス停は違う場所にあるらしい・・・yahooの乗り換え案内で検索したバス停の地図をたよりに、バス停を探します。

 

 すると、雁木の屋根の下にベンチがおかれた「いかにも」という感じのスペースを発見。

しかし、バス停の標識がどこにもありません。

 

何度か行ったり来たりしましたが見つからず、情報を求めてJRバス関東の江戸崎駅に行ってみることにしました。

 


江戸崎「駅」は土浦と江戸崎を結ぶJRバス関東霞ヶ浦線の終着駅。国鉄時代の名残を伝える「自動車駅」の生き残りです。

鉄道の補助・代行という性格を色濃く持ち、国鉄線の一部と位置付けられていた国鉄バスは、鉄道と同様の旅客・貨物輸送を行っていました。

その拠点として設けられたのが自動車駅です。線路こそないものの、窓口で乗車券を販売し、荷物の荷捌きを行うなど鉄道駅と同等の業務を行っていました。


現在では想像できませんが、鉄道とバスを組み合わせて通しで乗車券をつくることができたようです。

種村直樹による国鉄末期の最長片道切符の旅がその例のひとつでしょうか。この時の様子は『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』という本にまとめられています。

 

国鉄民営化により国鉄バスもJRバスに移管されました。

その後、JR線との連絡運輸の廃止にJRバスそのものの路線縮小もあって、自動車駅は窓口が廃止され、単なるバスターミナルになっているところがほとんどです。

江戸崎駅も名前こそ残っているものの窓口業務は廃止済。ただ、JRバスだけではなく、関東鉄道や桜東バス等近隣のバス路線がここに集約されたので、利便性は向上したといえるかもしれません。

鉄道路線に恵まれなかった江戸崎ですが、土浦、ひたち野うしく、竜ケ崎、佐原、下総神崎と各方面のバスが発着し、交通の結節点として機能しています。

 

探していた稲敷エリア広域バスのバス停も見つけました。



そんな絶滅寸前の自動車駅ですが、かつての面影を残しているのが草津温泉駅ではないでしょうか?

長野原草津口駅を結ぶJRバス関東の終着駅にして、各方面のバスが発着するバスターミナルは構内には「みどりの窓口」があります。

JR線との連絡運輸は廃止されているので通しの切符を購入することはできませんが、長野原草津口駅からのJR線の乗車券、料金券を購入することができます。

また、バスの乗車券も売っているので、同時に購入すれば連絡運輸の有無は実質的には関係ありません。

 

草津温泉へは東京から直通の高速バスがありますが、長野原草津口駅経由の需要も根強いようです。

特急「草津・四万」に接続するバスは続行便が出て2台での運行されていました。バスの台数は切符の発売状況を見ながら臨機応変に対応しているようです。

 

 

 

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