1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の際に、その前哨戦の舞台となった山中城。 東下してくる豊臣軍を食い止めるため、東海道を遮るように曲輪が配されていました。 その縄張と普請は北条流の考え方がいかんなく発揮されていて、しかも、落城後すぐに廃城になった…
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