去年の年末の話です。
盛岡に宿泊して、翌12月30日。
11:09発の快速リアスに乗車します。
山田線に乗るのは30年ぶりくらい。
当時はキハ52が現役で、現在はIGRいわて銀河鉄道が使用している新幹線高架下のホームに発着していました。
車両はキハ110に替わりましたが、ダイヤは当時からあまり変わっていないのではないでしょうか?
宮古まで行く列車は1日に4本しかなく、6:32発の始発の次がこの列車。間に上米内行きが2本挟まり、年末年始は臨時列車も運転されていたようですが、浮世離れしたダイヤであることには変わりありません。
上米内で行き違いのための4分停車。
上米内を出ると次の停車駅である陸中川井まで無停車。82分かかります。
その間、北上山地は徐々に険しくなり、人跡も途切れがちに。
山田線が着工されたのは1920年、原敬が首相のとき。帝国議会で野党議員の「山猿でものせるつもりか」という非難に対して、「鉄道規則では猿は載せないことになっている」と平然と答弁したというのは有名な話です。
真偽は疑わしいようですが。
13:30、宮古着。
東日本大震災後はじめてきた三陸沿岸。
宮古駅前の風景から震災の傷跡は感じられませんでした。駅舎も震災前のものをリニューアルして使用しているようです。
14:13発の盛行きに乗車。
震災後、JR山田線の宮古以南が三陸鉄道に移管されたことが、目に見える大きな変化でしょうか。
しかし、発車して海が見えてくると、印象が一変します。
海と陸を隔てる高い堤防。綺麗に区画整理された街には古い建物はなく、空き地が目立ちます。
不自然なまでの人工的な街並みに震災を思わざるを得ません。
昨年公開された「すずめの戸締まり」は東日本大震災をダイレクトに取りあげたことで話題になりました。
「いまでなければ間に合わないかもしれないと思った」という趣旨のことを新海誠監督はインタビューで語っていますが、
あの日から12年たって、今の小学生以下の人たちには震災の記憶がないという当たり前の事実に愕然とします。
こうやって、徐々に風化していくのですね。阪神大震災しかり。太平洋戦争しかり。
15:39着の釜石。7分停車します。
16:35に盛着。
BRTに転換されたJR大船渡線とは対面での乗り換えになります。
駅の雰囲気はそのままですが、鉄路は途切れたままです。
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