一国一城令による城の大量破却は城好きにとっては痛恨の出来事でした。
これにより全国で3000近くあったといわれる城館が約170にまで削減、集約されたとのこと。悲しいですね。
制度自体は柔軟な運用がされていたようで、各地に例外事例がある由。また、藩によっては独自の行政機構として支城に類する設備が維持されていたところもあります。
外城制を敷いた薩摩藩では、領内各地に麓集落という武士が暮らす集落がつくられました。
武家屋敷街として有名な知覧麓もそのひとつ。亀甲城を東端として東西方向に武家屋敷が並んでいます。
亀甲城を経て朝9時前の武家屋敷街。
澄んだ空の青と、若葉の淡い緑が目に沁みます。
時間が早いため人の姿がないのも好印象。
各武家屋敷に入るときには必ず石段を数段登るようになっており、しかも、食違虎口になっているので、直進できないようになっています。
道が折れているところに石敢當がありました。元々中国に由来する魔よけの風習ですが、一般的には沖縄のイメージが強いでしょうか。鹿児島県にも広く分布しているというのは初めて知りました。
道の両側は低い石垣が連なり、生垣もあって、中が見えないようになっています。
武家屋敷を抜けたところで、修学旅行と思しき中学生の団体に遭遇。すれ違いざまに挨拶してくれました。
このまま知覧城へ向かいます。
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