筒井駅から番条環濠、若槻環濠とめぐって、最後の目的地は、稗田環濠です。
ここは、集落を取り巻く環濠が現存している珍しいところです。
まずは堀に沿って一周してみます。
東側の堀はあまり広くありません。幅3mほどでしょうか?
ところどころ折れを伴いますが、集落側に土塁などの施設がないので、防御力はあまり高くないと思います。
一方西側は幅5m以上の広い堀が印象的です。
堀に面した石垣にはいくつか、堀に降りる階段がつけられています。
日常の移動手段、輸送手段として堀が使われていた証拠と推測しますが、いかがでしょう?
一周したので、環濠の南端にある賣太神社へ。
境内は新年を迎える準備の真っただ中でした。
集落の中を少し散策します。
他の環濠集落と同様、細い路地に建物が密集しています。
ところどころ新しい家もあります。建て替えの際にセットバックされ路地が広くなり、さらに駐車場なども備えているので、かなり雰囲気が変わります。
これまで見た集落は室町時代のころに環濠が形成されたものとのことです。
環濠が整備された理由は当然ながら合戦に備えて、ということになるのですが、このあたりは洪水が多い地域だということを考えると、環濠の形成過程も防御の面ばかりを強調するのは少しずれているように思います。
以下は、私の妄想ですが、
・低湿地の中の微高地に家が建てられ、徐々に集落が形成される。
・排水のために、敷地の周りに堀を掘る。掘った土は土地のかさ上げに使う。
・集落や家ごとにつくられた堀がつながり、環濠になる。
ということを考えましたがいかがでしょう?
わざわざ堀を掘っているにもかかわらず、技巧に乏しく、防御力もあまり高くないことを考えると、その成立過程はある程度自然発生的なものと考える方が個人的にはしっくりくるのですが。
このあたりは、おいおい調べてみようと思います。
↓よろしければクリックをお願いします。ささやかな励みになりますので。