海軍壕公園を出て、県道7号線をダラダラと下っていきます。
小禄交差点を左折
歩いて20分ほど。目の前に小高い丘が見えてくると、次の目的地、田原公園に到着です。
ここには、大田実司令官指揮下の海軍航空隊巌部隊の本部壕がありました。
この辺りは元々カテーラムイ(どのような意味なのでしょう?)という地名だそうですが、海軍は寿山と呼んでいたようです。
そのため、看板にも「カテーラムイ(寿山)旧海軍壕」と記載されています。
一番大きな坑口が公園の北西側の道路に面した斜面にあります。
中を覗き込むと、棚のような窪みが見て取れます。
そのほか、山麓を廻るといくつかの坑口が残されています。
最初の坑口に比べると小さくて、人ひとりがやっと通れる程度のものもあります。
坑口のひとつはこの滑り台の裏側ではないかと思うのですが。
丘の頂上には送電鉄塔が建っています。
周囲にはマンションが多く、木が茂っていることもあって眺望はききません。
しかし、当時は北の小禄飛行場も南の司令部壕のある丘もよく見えたと思います。
海軍壕公園の司令部壕と違って、この壕の工事には民間人も動員されたとのことです。
また、中に籠もった人には民間人もいたと看板に記載があります。
籠もっていた人たちがどうなったかは、書かれていないのでよくわかりませんが、ここは米軍の急襲により数日で陥落したそうなので、多くの犠牲が出たのではないでしょうか?
軍民ゴチャゴチャで戦闘状態になった沖縄では、何を見ても民間人の犠牲が付いて回ります。
そのことを考えるたびに心臓が締め付けられるような気持ちになります。
田原公園から小禄駅までは歩いて5分ほど。ゆいレールで首里に向かいました。
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