やがて台地がつき、道は下っていきます。
下の写真の正面から左側の山に糸数城があります。
下の写真の正面から左側の山に糸数城があります。
坂を下りたところ、正面に見えるのはアブチラガマ(糸数壕)の総合案内センター。
そして、そこから歩いて3分ほどのところにガマの入口があります。
アブチラガマについて知ったのは、『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕 ―国内が戦場になったとき』(石原 昌家、集英社新書)という本によってでした。
そして、その本で読んだガマがここにあることは知りませんでした。
しかし、ここで起きたことを私は知る必要があります。再訪を期したいと思います。
そして、その本で読んだガマがここにあることは知りませんでした。
しかし、ここで起きたことを私は知る必要があります。再訪を期したいと思います。
すぐそばの交差点から城跡に向けて道が登っていきます。
目の前に低い石垣が見えてきました。
横を見れば、天然の岩場に積まれた石垣。
石碑を見つけました。
岩場を登りきったところに虎口があります。
門の周囲のみは切石を積んでいます。
柱をピッタリはめられる構造は、勝連城と同じですね。
門の周囲のみは切石を積んでいます。
柱をピッタリはめられる構造は、勝連城と同じですね。
その門を通ったところでようやく気づきました。
今まで通ってきたところが城内、そして、門をくぐったところが城外だと。
そういえば、先ほどの高石垣の武者走りの位置からも自明の話です。自分の観察力がないだけですね。
今まで通ってきたところが城内、そして、門をくぐったところが城外だと。
そういえば、先ほどの高石垣の武者走りの位置からも自明の話です。自分の観察力がないだけですね。
糸数城は城内側の標高が低いといういささか不思議な縄張を持っていたようです。
台地の先端部を利用するという思想なので、仕方ないということでしょうか?
そのギリギリの妥協点が門のあるところだったのでしょうね。
台地の先端部を利用するという思想なので、仕方ないということでしょうか?
そのギリギリの妥協点が門のあるところだったのでしょうね。
門を出たところには、思いがけず広くて平らな空間が広がっていました。
かつては、ここにも建物があったそうです。現在も低い石垣が残っているという話もあります。
でも、このときはそのことを知らなかったこと、私有地のように見えて入るのがためらわれたことから、何も見ないで引き返してしまいました。
何とももったいないことをしたものです。
かつては、ここにも建物があったそうです。現在も低い石垣が残っているという話もあります。
でも、このときはそのことを知らなかったこと、私有地のように見えて入るのがためらわれたことから、何も見ないで引き返してしまいました。
何とももったいないことをしたものです。
というわけで、石垣に沿って散策しただけ。
まずは、門の南側です。
折れを伴った石垣は迫力があります。堀跡のような窪地も確認できますが、通常、グスクの石垣には堀は伴わないので気のせいかもしれません。
まずは、門の南側です。
折れを伴った石垣は迫力があります。堀跡のような窪地も確認できますが、通常、グスクの石垣には堀は伴わないので気のせいかもしれません。
北側の石垣も立派です。
この石垣の頂上からの眺望がすばらしいとのことですが、高所恐怖症の私には無理です。
この石垣の頂上からの眺望がすばらしいとのことですが、高所恐怖症の私には無理です。
玉城城と糸数城はかなり駆け足でしたので、見逃したと後から気づいたことも多いです。
でも、糸数入口16;06のバスを逃すと、次は1時間半後なので致し方ないです。
とはいうものの、その1時間半を使えば、垣花城もアブチラガマも行くことができたとも思います。
でも、糸数入口16;06のバスを逃すと、次は1時間半後なので致し方ないです。
とはいうものの、その1時間半を使えば、垣花城もアブチラガマも行くことができたとも思います。
本当に旅のプランを立てるというのは難しい。
とはいえ、今更悩んでも仕様がないです。また行けばよいのですから。
とはいえ、今更悩んでも仕様がないです。また行けばよいのですから。