カラフルな世界、モノクロの日常

鉄道、城、サッカーなど、自分が興味を持っていることを思うがままに書いています。yahooブログ終了に伴い、はてなブログに引越ししてきました。

つるがみね【駅名しりとり283】

鶴ヶ峰 (相模鉄道

 

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むかし、同じ名前の力士がいたよね、って思ったらあっちは「鶴ヶ嶺」。

字が違いました。。。

 

 

私が大相撲をよく見ていたのは2005年ころ。その頃は、豊ノ島稀勢の里安馬日馬富士)、琴奨菊琴欧州がが、前後して入幕を果たす時期で見ていてとても面白かった。

当時は相撲人気の低迷が叫ばれていて、升席が一般発売されたり、当日券が余裕で手に入るなど、今とはかなり状況が違いました。自分も何度か国技館の当日券売り場に並んでその恩恵にあずかりました。

 

彼らが番付を落とし、引退するようになると、徐々に足が遠のきました。一番好きだった豊ノ島が幕内から陥落してからは中継を見ることもほとんどなくなりました。

そんな私の興味と反比例するように相撲人気が復活していったのは、よかったのか、悪かったのか。

ただ、最近は、力士はもとより、協会から観客に至るまで、雰囲気ががらっと変わってしまった印象。

 

かつてのおおらかな空気は望むべくもありません。

 

 

 

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訪城記 ~鹿児島城~ 【2021.4.30】

知覧の戦争遺跡をぐるぐるして、何となく暗い気持ちに押しつぶされそうになりましたが、

気を取り直して、特攻観音入口からバスに乗車。

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このまま鹿児島市街まで戻っても良いのですが、変化をつけたくて谷山電停前で下車。

路面電車に乗り換えて鹿児島市の中心部を目指します。

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朝日通で下車。

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歩いて5分ほどで鹿児島城の堀端に出ました。

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鹿児島城(鶴丸城)は、城山を背後に、堀をコの字に回した簡素な縄張。

島津氏77万石の主城としては、シンプルすぎる気がします。

そもそも、九州の南端という地理的な面、および領内各地に拠点を持つ外城制のことを考えると、この程度で十分ということなのでしょう。

背後の城山を詰の丸と考えれば、防御力は低いものではありません。

実際、西南戦争の時は西郷隆盛が城山に籠っていたわけですし。

 

それでも堀は広く、石垣は高く、その威容は太守にふさわしいものに感じられます。

特に2020年に復元された御楼門は、その巨大さに圧倒されます。

天守を持たない鹿児島城ですが、この城門がそれに代わるシンボルだったのでしょう。

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御楼門の前を過ぎて、城の北東隅。

鬼門除けのため、ささやかな入隅になっています。

 

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北御門から城内へ。

御殿が建ち並んでいたところには、黎明館という県立博物館があります。

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御楼門は内枡形になっていて、石垣には西南戦争の時の弾痕が今も残ります。

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御楼門を改めて見学。新築特有の白い木材が印象的です。

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城山に登ると桜島が良く見え、夜景もきれいですが、今回は割愛。

下の写真2012年に撮影したものです。

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西南戦争の弾痕が残る私学校跡の石垣をみながら、鹿児島駅へ。

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17:37の列車に乗車し、この日は宮崎に宿泊しました。

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知覧飛行場の遺構と特攻について

知覧というと、やはり旧陸軍知覧飛行場とそこから多数出撃した特別攻撃隊の印象がとても強いです。

知覧城内にも防空壕があって、嫌でも戦争のことを思わざるを得ません。

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知覧城から知覧飛行場へ。現在は平和公園として整備されているほか、平和公園の周囲には、遺構が散在しています。

まずは、油脂庫。重滑油やグリースを保管していた倉庫です。

壁面には、空襲を受けた際にできた弾痕がのこります。

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弾薬庫はグラウンドの隅にありました。

移設されたようで、位置が当時と異なっています。弾痕が生々しい。

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知覧飛行場正門跡地には当時の面影を感じるものはありません。

門柱は公園内に保存されています。

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給水塔と防火水槽。

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グラウンドを回り込んで公園に入ると、一式戦闘機「隼」が展示されていました。

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三角兵舎という当時の兵舎を再現した施設。

空襲を避けるため、樹々の中に半地下構造でつくられています。

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一通り公園周囲を散策したところで、特攻平和会館にいきます。

ここには特攻隊員たちの遺書や遺品が数多く収集、展示されています。

たまたま小学生の団体と一緒になってしまい、静かに見ることができなかったのが少々残念でした。

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特攻・・・はっきりいってこれほど愚劣で無為な作戦はありません。

戦略上敗北が確定しており、しかも物量戦で押しまくられているにも関わらず、

貴重な航空機とパイロットを自らすり減らしていく作戦は矛盾の極みですし、

緒戦は戦果をあげたものの、当然ながら航空機の性能もパイロットの練度も落ち、アメリカ軍の対策が進めば、

投じた人的、物的資源に見合った戦果があげられなくなるのは少し考えればわかる事です。

 

にもかかわらず、特攻は止まりませんでした。

かなり早い段階から講和が模索されていたことは、歴史が示すところですが

国体護持に固執し、一撃講和が唱えられる中で続けられた戦闘は、言い方を変えれば、指導者層の失敗を隠蔽するための「形づくり」に他なりません。

 

特攻隊員たちの遺書を見ると、立派で勇ましいことが抑制的に書かれています。

一方で、これは特攻隊員の本心ではない、本当は行きたくなかったし、本当は泣きたかったんだという人もいます。

私は、どちらも本心だったと思います。本当は行きたくない、でも行くからには大儀に殉じたい・・・

人間は死を強制されたとき、そこに意味を見出さざるを得ない生き物だと思います。

 

でも、彼らが見た大義が虚構だとしたら?

そのことをわかっていた特攻隊員も多かったようです。それでもそれに殉じなければいけなかった・・・その状況はあまりにも悲しすぎます。

 

特攻は日本史上の汚点です。

その作戦は、論理的にも精神的にも否定しなければいけませんし、戦術上も戦略上も愚策だったと明らかにしなければなりません。

でないと、我々はまた繰り返す。

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情報の裏付けも、物資の補給もなく、精神論ばかりを振りかざし戦いを強いる。

都合の悪い事実に目を瞑り、適当なものだけを見て楽観的な見通しを立てる。

行き当たりばったりの作戦で悪戯に前線を振り回し、犠牲だけが増えていく。

新型コロナウィルスへの対応を見ていると、あの時とよく似ているのは気のせいでしょうか?

 

 

 

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たかまつ【駅名しりとり282】

高松 (JR四国

 

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1990年に宇高航路が廃止になるまでは四国の玄関口でした。

当時の風景は写真や映像で見るより仕方ないですが、広大な側線とひしめき合う貨車、ホームに並ぶ、四国各地に向かう急行列車などに活気を感じることができます。

2000年前後に行われた再開発により連絡船時代の面影を感じることはできなくなってしまいました。

4面9線が並ぶ頭端式ホームに玄関口としての矜持を、構内にあるうどん店に連絡船の残り香を感じるのみ・・・というのは郷愁が過ぎるでしょうか。

 

 

 

 

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訪城記 ~知覧城~ 【2021.4.30】

GWの話がダラダラ続きます。

 

 

知覧麓の武家屋敷からあるいて20分、スパッと切り落としたかのような崖を持つ山を見ながら進むと、漸く看板がありました。

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そして、樹々の間に入っていくこの道が大手口です。

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樹々が茂り昼なお暗い、両側を断崖に挟まれた道を進みます。

断崖の上、右側は本丸、左側は今城。侵入者は常に上から狙われ続けることになります。

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まずは今城へ。

崖につけられた細い道を登ります。

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入口は枡形になっています。

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曲輪内は平坦でひらけていました。 

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いったん戻って、西側の弓場城へ。

同じように崖に沿った細い道を登ります。

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虎口は枡形。導入部の縄張は今城とよく似ています。

つまり、各曲輪と堀は自然に形成されたもので、それだけで敵を寄せ付けない防御力を持っていることから、曲輪の導入部だけしっかり作れば鉄壁の城が完成するということ。最小の労力で最大の効果、軍事施設たる城の鑑ですね。

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主郭にあたる、本丸と蔵之城へは枡形虎口を突破する必要があります。

細く、急な道が折れながら続いています。枡形といいつつ、よく見る枡形虎口とは雰囲気が違います。何よりもこの高低差が防御力を飛躍的に高めています。

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本丸と蔵之城の間にある平場。重要な両曲輪をつなぐ空間として、ここも重視されていたのではないでしょうか?

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ここにパンフレットがおいてあります。

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蔵之城は発掘調査の結果が平面表示されています。また、曲輪の周囲を土塁がまわっている様子がよくわかります。

さらに西側にいくつか曲輪があったようですが、藪が深くて判別できませんでした。

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本丸へ。

大雨の影響なのか、表土が流出してしまっています。

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枡形虎口を抜けると本丸。

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土塁が一周しています。

削られて失われているところはありますが、よく残っています。

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曲輪間を移動する際に上り下りを強いられますので、想像以上に疲れました。

でもそれは、この城のすごさを体感したということでもあります。

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もう少し頑張って次に向かいます。

 

 

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